sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

スティーヴ・エリクソン『ルビコン・ビーチ』

ルビコン・ビーチ

ルビコン・ビーチ

 現代アメリカの作家、スティーヴ・エリクソンが二作目に書いた長編小説(1986年)。ドキドキするぐらい面白く、読めば読むほど物語の全体をつかむことの不可能性に直面するしかないような読後感を味わう。こういうタイプの小説からは「物語を物語によって解体する」という試みを感じ、グッと来てしまう。構成も見事で、三部で分かれた章が部分で影響しあい、一つに繋がろうとしているに痺れた。第一章のラジオや音楽や冗談が禁じられた“華氏451”的なアメリカ、第二章のジャングルからアメリカへの旅、第三章で描かれる20世紀前半のアメリカとその国への帰還。それらの部分はそれぞれほとんど独立しているようにえる。しかし、どれもが(第二章ではキャサリンと呼ばれる)“謎の女”を鍵にしながら、「幾つかのアメリカの姿」を描こうとしている点では共通している。けれども、「全体」を把握するのは困難だ。このスリリングな読書体験を味わうだけでも価値がある……ような気もする。
 幻想的な/悪夢的な小説世界に読み手はひきこまれていく。鮮やかに、というよりもじわじわと。気がつくと、読み手は「現実の世界」が奇妙にねじれた「フィクションの世界」で意味を探ってしまっている。このとき、なにより重要に思われるのはそこで手にすることができる、あるいは手にすることをあきらめなくてはならない「フィクションの意味」が現実的であるか、どうか、という点である。言い直せば、作品が世界の媒介(メディア)になっているかどうか、について私は考えさせられてしまう。エリクソンを読んでいるときの「じわじわ感」とは、現実に運動している世界と、フィクションの紙の上で展開される世界との緊張関係に読み手が関係付けられる、という証ではないかな、と思う。そういうフィクションで得られる意味は、ジャーナリスティックな作品におけるものよりもジャナーナリスティックで、ノンフィクションよりもリアルだったりするんじゃなかろうか。
 とにかく面白いですよ、これは。
 追記;書き忘れていたけれど、今エリクソンの古本がかなり安い。アマゾンのマーケットプレイスだと『ルビコン・ビーチ』は500円を切っているし(絶版なのに。送料込みでも1000円いかない)、今のところの最新作である『真夜中に海がやってきた』でさえ980円という値段がつけられている。この値段、敷居が高めな現代文学としてかなり異常とも思える。今がエリクソンの読みどきなのかもしれません。
 追記2;以前に『黒い時計の旅 (白水uブックス)』を読んだときの自分の感想*1を、ちょっと読み直してみたら、そのときもやっぱり「全体のつかめなさ」を感じていたらしい。全体を語ろうとすると途端にそれが「嘘」へと転倒してしまうのってすごい、と思う。あらすじが書けない小説。