菊地成孔『スペインの宇宙食』
菊地成孔の第一エッセイ集。基本的には大変楽しみながら読む。幾度も「この人ほど色んな読み方ができる人は今いないだろうな」と言う思いを噛み締めながら。熱狂的なファンであればあるほど、自らの「読み」を信じ、他の誰かによる読みに対して「違う!そうじゃない!!」と否定の声をあげる。そのような無意味な戦争状況が、たぶんネットのどこかであるのを想像してしまうほど、多義的に菊地成孔は存在している、と私は思う。例えば、彼は「キッチュの人(“キッチュのキッチュ”とも言うべき)」である。また、「反復の人(マイルス・デイヴィスの反復、あるいは田中康夫の反復。またDCPRGの音楽はポリリズムの反復音楽だ)」である。さらには「虚構の人」でありながら、「真摯に音楽を作り続ける人」でもある。以上は私がパッと思いついた限りの「読み」だが、このどれもが正解のようであり、不正解のようででもあると思う。たぶん、このような多義性を安易に「何か」へと着地させることなく、批評的に言説を紡ぐことを可能にするのが「批評家の才能」なのではなかろうか(残念ながら、私にはそういうのが一切無い)。
内容は多岐に渡る。ジョン・ゾーンの「コブラ」、ゴダールの映画音楽、ジャムバンドについての虚構の歴史と(虚構の)正史……など大変有益な情報が満載で、個人的には特に安西ひろこが柔道の元国体選手であるという事実などを知れたことに一番の喜びを覚えた(安西ひろこってちょっと懐かしくて、心の微妙に柔らかい部分をグッと突いてくると思いませんか。とか書いておくと、たぶん多くの人の心に『安西ひろこって今何してんだ!?』という疑問を浮かばせるはずだ、と現在グーグルで安西ひろこの消息を追っている私は確信の念を抱いている)。数え切れないほどの固有名が書き連ねられているところに「菊地成孔って鼻持ちならねぇ、スノッブ野郎だなぁ!」と癪にさわる人も多いと思うのだが、「安西ひろこ」への探究心によってカチンときたところをなだめて欲しいと思う。
最後に、表紙の写真について。小さい画像などで見ると洒落た装丁に見えるのだが、手にとってマジマジと眺めると「変な柄シャツを着た小男が、道端でステーキを食っている」という詳細が確認でき、「小洒落てて、綺麗な装丁だなぁ」という印象に「あれ……?」というモヤモヤとした疑惑が差し込まれる不思議なものとなっている。