sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ウィーン・フィルの物神崇拝的対象

モーツァルト:クラリネット五重奏曲
ウラッハ(レオポルト) ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 モーツァルト ブラームス
ユニバーサルクラシック (2001/11/28)
売り上げランキング: 141

 id:encyclopectorさんのブログでウェストミンスターレーベルの音源がボックス・セットで再発されることを知る*1。encyclopectorさんが既に言われているように「典雅なウィーンの音」を体験することができるまさに宝物のような録音の数々が手に入りやすくなった、ということでとても嬉しい限り。バリリ四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲は何枚か既に聴いているのだが、手元にはなかったのでこの機会に購入しようか、と思っている。

 「ウェストミンスターレーベル」と聴いてすぐさま思い浮かべるのは、レオポルトウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるモーツァルトブラームスクラリネット五重奏曲を収録したアルバム。「『典雅なウィーンの音』ってどんな音なの?」と訊ねられたら真っ先に推したい一枚でもある。50年代のモノラル録音のため、確かに現代の録音と聞き比べると迫力にかけるのだが、自然なリバーブで響いてくるウラッハ(当時のウィーン・フィル首席奏者)や四重奏団の柔らかい音色が、現代の録音より一層室内楽的に聴こえる。「典雅」に関してはやはり弦楽器のヴィブラートが特徴的だろうか――細やかで、深いヴィブラートは決して歌い込みが過剰でなく、格調高さを感じさせる。

 そこにある「素晴らしさ」は、現代の弦楽四重奏団の最高峰であるアルバン・ベルク弦楽四重奏団とは全く別種のもの。同じウィーン・フィルを母体としたカルテットにも関らず、アルバン・ベルクが「ベルリン・フィル」(特にカラヤン時代の)的なものを指向しているのに対して、ウィーン・コンツェルトハウスは「ウィーン・フィル」的なものを保持しているように感じる(高い圧力で迫ってくるようなアルバン・ベルクの演奏は確かにカッコ良いのだけれど、聴き続けるとさすがに疲れてしまう)。

4 Symphonies / Variations
4 Symphonies / Variations
posted with amazlet on 07.01.21
Johannes Brahms Wiener Philharmoniker Gerhart Hetzel Karl Bohm
Deutsche Grammophon (2002/10/08)
売り上げランキング: 24267

 弦楽四重奏団による「典雅なウィーンの音」を体験すると、本来の活動の舞台であるウィーン・フィルの音も聴きたくなるわけで、そうなると私はカール・ベームが指揮するブラームスの全集を聴きなおす。ブラームス交響曲における「名盤」の1つとして挙げられるベームの演奏だが、ここに捉えられた「ウィーンの音」とウェストミンスターレーベルに収められたそれとを比べると「全く同じ音がする……」という感想を抱き、鳥肌が立つ。「ヴァイオリンの合奏がまるで一人が弾いているように合って聴こえること」はオーケストラの理想形の1つでもあるのだが、まさにそれが体現されているのを示すのがこの録音だと言えよう(宇野功芳)。

 ブラームス交響曲ルドルフ・ケンペベルリン・フィル)やミヒャエル・ギーレン(南西ドイツ放送響)によるスッキリとした演奏が好きだったのだが、最近はベームの濃い演奏の良さが分かってきたような気がする。前者がブラームスのリズム的な面白さ(杭を打つようにして裏拍に強拍を持ってくる感じ)でノリノリになってしまうのに対して、後者はメロディの横の流れが素晴らしい。聴いていて目の前が開けていくような雄大さがある。

 友人の母にベームウィーン・フィルの来日公演を追っかけていたという経験を持つ方がいるのだが、こんな演奏を生で聴けたら落涙・失禁は確実。うらやましすぎる。

 しかし、言ってしまえば「典雅なウィーンの音」などはローカリズムの典型に過ぎない。現代の音楽におけるグローバリズムの流れからすれば「消えゆくもの」に位置づけられるように思うのだが、そんな流れがこれからも続くならば音楽はどんどんつまらなくなる一方なので、せめてウィーン・フィルだけはローカルなものであって欲しい(だから女人・外人禁制のオケで良いと思う)。2003年に「ウィーン・フィルで日本人初のチューバ奏者誕生」というニュースがあったけれど、あんなの全然良いニュースじゃない!ベルリン・フィルみたいなオケは世界に二つもいらないんだ。