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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

マコンドとシステム論/大佐的な小説

百年の孤独
百年の孤独
posted with amazlet on 07.01.20
ガブリエル ガルシア=マルケス Gabriel Garc´ia M´arquez 鼓直
新潮社
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 ラテンアメリカ文学の金字塔『百年の孤独』を読み終える。憑りつかれるようにして読ませられてしまったような素晴らしい小説。「マルケスマルケスマルケス」とうわ言を繰り返してしまうぐらい魅了されてしまった。

 あらすじを最も単純に説明すると「架空の村マコンドの成立から消滅までを描いた幻想叙事詩」ということになるだろう。それはシムシティ的な「街」(あるいは人類史)のシミュレーションとして読むことが出来るのだけれど、マコンドの「変化」はそれと違っい、徹底して「外部」とのコミュニケーションによって生まれていくところが面白かった。ジプシー、革命、アメリカ人といった「外部」がマコンドに訪れることによって、マコンドの創始者であり中心であるブエンディーア家に様々な変化が生まれる様子はアロポエーシス的なものとして捉えることが可能である――逆に全ての発展が内発的に生まれるシムシティオートポイエーシス的と考えられるだろう。しかし、最後にメルキアデス(マコンドに最初の変化をもたらすジプシー)が残したテキストの謎が解き明かされた瞬間に、外部に開かれたシステムのように思われたマコンドが、そのテキストとマコンドとの間で非常に閉じたものへと置き換えられてしまうどんでん返しが衝撃的。

 翻訳者のあとがきにあるように「どのようにも読める本」(というか全てのテキストはそのようなものであるはずなのだが)で、私は上記のようなことともう1つのことを考えながら読んでいた。そのもう1つとはこの小説が日本人作家に与えた影響についてである。

 『百年の孤独』を読むことによって初めて私は中上健次におけるガルシア・マルケスの強い影響を掴み取ることができた。『岬』から『地の果て至上の時』までの3部作で描かれた系譜が、ブエンディーア家の複雑な系譜と重なることはもちろん、中上の描くフサやオリュウノオバ(『千年の愉楽』)に与えられた性格はウルスラやピラル・テルネーラが演じたものが下敷きだったのだなぁ、と思った。

 中上以外にも「系譜」の点で、古川日出男の『ベルカ、吼えないのか』も(春樹チルドレンではなく)「マルケス・チルドレン」の作品として挙げられるし、星野智幸の『最後の吐息』にも「32回の反乱を起こし、17人の子供を孕ませたアウレリャーノ大佐」が作った「金の魚細工」が物語を進める重要なモチーフとして利用されている。これらは「影響」というよりも一種の「取材源」として『百年の孤独』が利用されていることを示すものだけれど「ここまで他の作家の作品へと足跡を残す『百年の孤独』ってなんなの!?」と正直驚いてしまう。アウレリャーノ・ブエンディーア大佐のように、ここまで子沢山な小説も他にない気がする。