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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

「死刑を前にして、僕は目覚めた」

Isang Yun: Chamber Symphony 1; Tapis pour cords; Gong-Hu
尹伊桑 Piotr Borkowski Korean Chamber Ensemble Rana Park
Naxos (2006/01/30)
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 ユン・イサンという作曲家の生涯と、彼が生まれた朝鮮という土地が20世紀に受けた「激動」には重なるものがあると思う。彼は日本に留学し作曲を学んで帰国した後、反日運動に参加したため逮捕・投獄されたことや、ベルリン滞在中にKCIA大韓民国中央情報部)によって拉致され拷問を受け死刑宣告まで受けている。このような暴力に晒された作曲家の例はクセナキスぐらいだろうか。クセナキスもユンも「死刑宣告」を目の前にして、そこから生還してきたという稀有な体験を持った「伝説的人物」と言えるかもしれない。

 「僕は生死の境を経てから、人間の生活において、どこまでが政治であり、どこまでが政治じゃないのか、それを断言することができなくなりました。この世の中には、政治じゃないことはほとんどない。もちろんいわゆる『政治』というのは、政党人とか、政治を売って私服を肥やすというような下らない政治かもしれませんが、私がいま言っているのはそんな政治ではありません。真の人間問題、社会問題に、自らの利害関係を度外視して、力を注ぐということ。これは堂々と人間のやるべき、最も人間的な義務じゃないかと思っています。/僕は自分が死に直面して、はじめて目覚めたわけなんです」――先日も紹介した武満徹とユン・イサンの対談でユンはこのようなことを述べている。死の淵から生還してきた人間らしいとても立派で厳しい意見だ、と私は思う。

 このような「厳しさ」からは、当然「厳しい音楽」が想像されるのだが、それを裏切って協和的な音楽を書いているのがユン・イサンの面白いところだと思う(その音楽は鮮やかにクセナキスの『複雑性』とコントラストを結ぶ)。「協和的な美しさ」をすぐさま「ヒューマニズム」へと還元することはできない。しかし、1950年代以降支配的だったトータル・セリエリスムとは全く違う方法で、協和する美しい響きを追求した作品群はとても貴重なものであり、心が打たれてしまう。

 1980年代に書かれた《室内交響曲第1番》、《弦楽のためのタピ》、《ハープと弦楽のためのゴンフー》を収録したナクソスのCDは、彼を「東洋と西洋との融合を目指した」作曲家として捉えている。しかし私としては、朝鮮に生まれ、日本で教育を受け、主にドイツで活躍した彼を安易に「アジアの作曲家」として置くことはできないように思う(現に彼は自らのアイデンティティコスモポリタン的なものとして語っている)。

 作品には確かに「東洋的なもの」を感じる瞬間が存在する(ペンタトニックのフレーズや深呼吸のように伸びる響きの長さ、特に《…ゴンフー》で用いられるハープは、シルクロードも含んだ「大きなアジア」の象徴として用いられている)。しかしそれでも、ユン・イサンの作品は「アジア」という狭い枠ではなく、もっと広い枠、むしろ東洋/西洋という位置的なものではなく、時間的なもので古典主義時代の音楽との親和性をもっているような気がするのだ。私は不思議とロマン主義以前の、ハイドンモーツァルトそしてベートーヴェン(の初期)の「無垢な作品」と似ている、と直感的に感じる(全く別な音楽なのに)。

 ユン・イサンの音楽にある「協和」とは、新ロマン主義のようにキッチュな協和ではない。その新しい「古典性」のなかに、ヒューマニズムが屹立しているようにも思う。