ホルクハイマーの方が怖い!
アドルノの兄貴分(?)、マックス・ホルクハイマーの『理性の腐蝕』を読み終える。この人、フランクフルト学派の創設に関り、フランクフルト大学社会学研究所の所長だった人なのだが、強引にホワイトベース隊に喩えるならばブライト艦長みたいな位置なんだろうか。アドルノはハヤト・コバヤシ、ベンヤミンはスレッガー中尉とかで。ハーバーマスは第二世代なのでカツ(『Z』で活躍)。
いきなり脱線してしまったが『理性の腐蝕』はアドルノとの共著『啓蒙の弁証法』のなかで展開される二人の思想を紹介する目的で書かれていたらしい。序文から「われわれの哲学は一つである」とか書いてあって二人の若干ホモセクシャル的な関係性を伺ってしまう(実際はどうかしらない)。内容は『啓蒙の弁証法』とやや重複する部分があるけれど、ここでのホルクハイマーの視点はもっとコンパクトにまとまっており、書き方もかなり分かり易く書かれているように思われた。なので、アドルノ/ホルクハイマーの思想に触れるのであれば一番最初にお奨めできる本なのかも。
「元来《理性》たるものは、客観的に存在する秩序であり、人類がたどり着くべき《目的》であった。にもかかわらず、我々は《理性》を合理性の名の下に《手段》として使うようになってしまった!!(超要約)」――この本の中でホルクハイマーはこのように批判をはじめる。で、「確かにそれは社会における人間の個人化をもたらした。しかし、《理性》は徹底した道具の地位にまで貶める産業構造は、個人化した人間を機械化させ人間性や主体性を奪ってしまったのである!!(超要約)」とかお怒りになるのだが、ここまで至る過程は「理性をめぐる思想史」に言及しながら進められるため、読み易い。
個人的に面白かったのはアメリカ南北戦争時にチャールズ・オコナー*1が行った演説を引用しているところ。ここでもその演説内容を引用しておく(ここは唯一笑いどころだったから)。
自然の明らかな定めと、健全な哲学の命ずるところに従って、われわれは、奴隷制度が正当であり、恵み深いものであり、法に適っており、適切なものであると宣言しなくてはならない。
これに対してホルクハイマーは「こいつらの言う哲学ってなんだ?手前勝手に《理性》を捻じ曲げて道具にしてるだけじゃねぇか!!」と問題視するのである。このあたりは近代における法の自己言及性の指摘などとも重なって読めるのかもしれない。私自身としては、こういう現代的な価値観・倫理観とのズレがただ単に笑えてしまうだけなんだが。チャールズ・オコナーの後に紹介されるフィッツヒューという人の文章も面白い(彼の場合、徹底的に哲学を批難し『常識』こそ正しいのである、というのだが、その『常識』の名の下に奴隷制度を礼賛するのである)。
「今日理性と呼ばれているものの拒絶こそ、理性の果たしうる最大の貢献である」と皮肉っぽく、しかし強烈にこの著作は締められるのだけれど、問題や主旨が明確なだけあって「アドルノよりも怖いな……」と思ってしまった。その前の方には「今日、理想郷への進歩は、まず、社会権力の抵抗しえない機構の比重と原子化された大衆の比重のあいだの完全な不均衡によって妨げられている」とあるし、「アレゲに紹介されるフランクフルト学派」の読み方はあながち間違っていないような気がした(そこにアドルノとホルクハイマーの名前はなかったとしても)。