sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

居心地の良い文章

浴室
浴室
posted with amazlet on 06.09.27
ジャン‐フィリップ トゥーサン Jean‐Philippe Toussaint 野崎歓
集英社
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 どこかでチラチラと名前を見かけて*1気になっていた作家、ジャン=フィリップ・トゥーサンブックオフで見つけたので回収して読んでみた。とても不思議な居心地の良い感覚へと持っていかれる小説だと思う。「冷暖房が程よく効いたホテルのロビーにあるソファーに座って、ペンギン・カフェ・オーケストラを聴いている」ような感じである。この喩えって全然伝わらない気がするんだけれど、とにかくこの居心地を言い表そうとしたら、そんな情景が頭に浮ぶ。

 小説で、とくに出来事らしい出来事はおこらない。ある日、主人公の「ぼく」は恋人と同棲しているマンションの浴室で生活をし始める。だからと言って次から次へと面白い人物がそこに訪れて……という展開はない。得体の知れない貧乏なポーランド人の画家や、主人公の母親がやってくるだけだ。「ぼく」も頑なに浴室から出ようとしないわけでもなく、すぐに出てきて普通に暮らしたり、第二章では浴室から出て旅行にいったりもする。「ぼく」には浴室で暮らす理由も、旅に出る理由も何もないように私には思われた。ただなんとなくそうしているだけ、という感じだ。何も起こらない没ドラマのなかで「ぼく」は、なんか小難しい哲学的思索に耽ってみたりもするんだけれど、それすらも全然深刻な感じがしないのである。

 「何も起こらない」と言えば、すぐさまベケットの有名な戯曲が浮かぶけれど、あそこにある閉塞した感じはない(もちろん文体の印象もそこには強く影響している。軽やかで柔らかく、そして若い文体だ)。この「何もおこらないのに、全然不安じゃない、むしろ心地良い」という小説の印象は特殊な感じがする。ああ、この感じ、ある時期の宮台真司の著作でインタビューに答える若者の感じに近いのかもな、とも思う。「世の中ものすごく暗いし、生きづらいのにコイツらは全然生きづらそうじゃない!むしろ楽しそうだ!!」という感じ。そういうある種の動物的な生き方が全然理解できなかったけど「これか!」と思った。

*1:友人の卒論テーマだった