sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

Logic Studio、使い始めました

Logic Studio(NEW)
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アップル (2009-09-02)
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id:azakeriと最近はよく連絡をとっていて「また宅録はじめようか〜」という話をしていた。そしたら、TASCAMのUS-122 MK IIというオーディオインターフェイスを貸してくれたので、夏のボーナスでMacBook Proと一緒に購入していたLogic Studioをようやく使い始めることに。まだよくわかってないが、これはすごいソフトであるなあ……と驚愕した次第。ぶっちゃけ、このソフトとオーディオインターフェイスがあれば、ギターを弾く人ならアンプやエフェクターなんかいらなくなっちゃうし、シンセならMIDIキーボードだけで済んじゃうのでは……という各方面の充実ぶり。もちろん実際に様々な回路を通して、空気をふるわせて録音したものとは別物の音になってしまいますが、バンドのデモ音源だとかバンドメンバーに作った曲を聴かせるトラックを作るぐらいならこれでペラペラ、っと作業すれば作れてしまう気が。


手元にマニュアルがないので、トライ&エラー、サーチ&デストロイで作業していますが、ふんふん、と画面を操作するだけで、こんな音楽が15分ぐらいでできてしまう。


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アダルトビデオのBGMみたいだ……!(ストーリー部分が始まる前に、いろんなポーズをとってる女優さんにカメラが寄ったり、引いたりする部分の感じ) これで5万円しないんだから、はっきり言って安すぎる。そもそものMacが高価である、という問題はさておき、クリエイティヴ方面に興味がある若人は、バイトなり援助交際なり、おばあちゃんの口座から勝手にお金を引き出すなりして、MacとLogic Studioを買ったら良いのではないか。廉価版的な位置づけにLogic Expressというのがありますが、安物買いの銭失い、というありがたい言葉に従えば、最初からLogic Studioにしておいた方が良いでしょう。

「へぇ〜、アンプいらないんだ……便利〜」とオーディオインターフェイスについても阿呆のように有り難い気持ちです。

イョラン・セルシェル《時は止まって 限りない静けさと沈黙へ》 @フィリアホール

ダウランド:時は止まって/ストラング卿のマーチ/題名のない小品/ダービー伯のガイヤルド/涙のパヴァーヌ
ビートルズ:ジャンク(マッカートニー)、エリナー・リグビー/ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア(レノン/マッカートニー)
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調BWV1008
ペルト:アリーナのために
S.L.ヴァイス:ロジー伯の死を悼むトンボー
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010

イョラン・セルシェルはスウェーデン出身の世界的に活躍するギタリスト。現在彼はスウェーデンの田舎のほうにある自宅にて旧オリーヴ少女が夢見るようなスロー・ライフを送りながら音楽活動をおこなっているそうですが、大変人気のある奏者であって、私もクラシック・ギターの世界はほとんど門外漢といって良い私でも彼がヴァイオリンのギル・シャハムと録音した『シューベルト・フォー・トゥー』という編曲モノのアルバムは愛聴していました。ギターを聴くなら小さなホールで聴きたいな(そんなに大きな音色の楽器ではないので)、とは常々思っていましたが、セルシェルをフィリアホールで聴けたのは僥倖だったと言えましょう。リッチな響きのあるホールとは言えませんが、ギターの音の芯が残響でぼやけず、それでいて音量は充分に客席に届き、とても気持ち良く聴くことができました。


コンサートはダウランドから始まって、これがもう、うっとりじんわり、といった世界。同行したクラシック・ギターを習っていた上司は「音がパキパキしている」とおっしゃっていましたが、セルシェルが弾いている11弦ギターという楽器は1-6弦が通常のギターよりも短3度音が高いのだそうです(リュートの曲を編曲無しで弾くように開発されたものなのだそう*1)。低めのチューニングで取られた音色はとても気持ち良く、ダウランドのブルース感(この明るいのだか、暗いのだか判別がつかない感じはエリザベス朝のブルースなのです)に浸ってしまいます。それから今回のプログラム・タイトルについてのアナウンスがあり、ビートルズの楽曲へ。このへんは結構あっさり流れてしまうのですが(ポールって良い曲書くよねえ、やっぱり天才だよねえ)ほとんどアタッカでJ.S.バッハに入ってからは、もうどんどん熱が高まっていく感じ。


後半もペルトやヴァイスで空気を整えて、バッハに入ってから白熱していった印象があります。しかし、その燃え方は超絶技巧の奏者が聴衆の前でオラオラと自分の実力を見せつける感じでもなければ、公共の場で声高に音楽の価値を叫ぶようなものでもありません。そのように聴き手に対して外側から熱を浴びせるのではなく、聴き手の体のなかから徐々に温めていく遠赤外線かよ、というタイプの演奏なのですね。こうした演奏には、自然に耳のほうが音楽に寄っていく。この日演奏されたバッハの無伴奏チェロ組曲の第2番、第4番(アンコールには第6番から2曲抜粋で)に関して言えば、これらは不朽の名曲であって、人類史に残る楽曲だ、と称されていますが、セルシェルの演奏は楽曲をそのロマンティックな地位から、バッハの同時代の音楽観へと引き戻すようでした。彼の態度は、世の様々なチェリストがこの楽曲を自らの、あるいは大作曲家の魂の叫びとして扱い弾き込むのとは真逆のものです。ギターという楽器の特性もあるかもしれません。聞き慣れてしまったチェロの唸るような歌い込みから解放された無伴奏チェロ組曲は、最初からチェンバロのために書かれた華麗な舞曲のように響きます。そこで《叫び》の一声が多声音楽に展開されるのです。それがとても新鮮でした。こんなに軽やかな音楽だったのか、この楽曲は、と驚きます。


セルシェルのアナウンスは、今回はゆっくりな曲ばかりを集めている、それは新しい価値観や生き方、スロー・フードだとかスロー・ライフだとかそういうものへの取り組みから思いついたんだよ〜、的なお話でした(うろおぼえ)が、彼の音楽とそのライフ・スタイルは見事に繋がっているようにも感じます。パブリックなもの、グローバルなものを目指していったのが近代でありロマン派なのだとしたら、逆にプライベートなもの、ローカルなものに回帰するオルタナティヴという感じがセルシェルの音楽から受け取れます。その回帰がピリオド奏法の追求のような「ホンモノ」を志向する態度になってしまうと、ロマン派の目標が変わっただけバージョンになってしまう。けれどもそうならないのが彼の絶妙なバランス感覚なのでしょう。考えてみれば、この日演奏された曲は全てギターのための曲ではないのですよね。しかし、そうであっても演奏に触れているうちに「ああ、この曲は、こういう性格の楽曲だったのかもしれない」という彼の世界のリアリティに引き込まれてしまう。そうでなくてはならぬ、という使命や運命によって支配された深刻さではなく、そうであったのかもしれない、というか、こうであってもよかったんだよね、という安らかな納得感? 良い演奏会でしたよ〜。

Schubert for Two
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Shaham Sollscher
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ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
セルシェル(イョラン)
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坂本慎太郎/幻とのつきあい方:地面から15センチ浮いてる感じ、良いですよこれは

幻とのつきあい方
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坂本慎太郎
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2010年にゆらゆら帝国が解散したときは「へえ〜、解散したんだあ〜」とまったくの他人事であって、坂本慎太郎がソロ・アルバムを出すと聴いても「へえ〜、出すんだ〜(買っておくか〜)」ぐらいの関心でしかなかったのだけれど、届いたものを聴きだして素晴らしいではないですか〜、これは〜、ゆら帝まで遡って聴いちゃうぞ、と思った次第。今更なんですが、こんな歌詞でこんな歌声で、こんな音世界を立ち上げられる人が今のご時世、生きにくくて仕方がないのでは、と勝手な心配さえ抱いてしまいます。とても貧しい一言で言うならば「サイケデリア」なのでしょうけれど、歌声から受ける印象はどこまでも醒めきっている、そう、ジャケットの坂本慎太郎氏の視線も挑発的であって、リスナーの背後に立つ霊的存在を見透かされており、精神的ステージにおいて別次元に立ってしまわれているのは明らかなのです。天まで届く開放感ではなく、地面から15センチメートル浮いてる感じ。密室的なのだけれど、空き地のような広さ。遠くて近い神にも似た矛盾したイキフンが素晴らしいです。初回限定版はヴォーカル・トラックを抜いたインスト盤がついています。坂本氏の声がないだけで、こうまで印象が変わるか、と驚きですが大変ゴキゲンなモンド・ミュージック(あるいは、スーパーで流れてる謎ミュージック)のようである。


幻とのつきあい方(初回限定盤)
坂本慎太郎
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ショーロクラブ 武満徹ソングブックコンサート @めぐろパーシモンホール

武満徹ソングブック
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ショーロクラブによる武満徹ソングブック*1コンサート版をめぐろパーシモンホールへ。はじめていくホールでしたが大変キレイなホールでびっくりしました。大きさは江東区などに乱立している中規模ホールぐらいなのですが、やはり立地のラグジュアリなイキフン、駅(東急東横線都立大学駅)からホールへ向かうまでの道すがらに見える、小さなショップのコジャレ感、どれをとってもシャレオツであり総合ポイントをとれば、クール度は都内随一といっても良いでしょう。音響面などはさておき、サントリーや芸劇、トリフォニーなどにはないロケーション。終演後、駅前のいち。というお店にうかがいましたがここも良いムードで美味しいお店でした。ここのカニクリームコロッケを食べたさに、めぐろパーシモンホールに通いたくなるかも。


本題のコンサートのほうですが、これはもう素晴らしいとしか言い様がない。歌手の魅力と実力を存分に堪能できるコンサートでした。ステージ上にはソファとテーブルが並べられ、ショーロクラブと共演する7人の歌手はそこで自分たちの出番を待ちます。背景には武満徹が過ごした軽井沢の写真。その光景はちょっと演劇の一場面のようでしたが、ショーロ、というサロンの室内楽の雰囲気をコンサート・ホールに再現するひとつの手段として効果的な演出だと思いました。圧巻だったのは沢知恵のパフォーマンス。これはもう貫禄さえ感じさせるものでした。とにかくパワフルだし、舞台から放ってるエネルギーの量がものすごい。芸能としてひとつ完成された姿だな、と思いましたし、ソロのコンサートも聴きにいきたくなります。おそらく確実にお客さんを満足させて帰らせてくれるでしょう。コンサートの満足感をチケット代と換算してコストパフォーマンスを計るのは無粋なことかもしれませんが、相当にコスパが良さそう。


アルバムでは男性歌手(おおはた雄一・松平敬)のヴォーカル曲は1曲ずつと寂しい感じでしたが、本日は未収録曲がそれぞれ1曲ずつ演奏されていました。これらはライヴ版の配信などで補完されて欲しいですね。おおはたは「ぽつねん」を、松平は「昨日のしみ」を。どちらも谷川俊太郎詞による楽曲で、言葉の選び方がすっ、とくる。「ぽつねん」はちょっと不気味というか、シュールレアリスムを感じさせるのだけれど、こうじんわりと良いものを錯覚させてくるところが不思議。ほかにもアン・サリーによる「死んだ男の残したものは」で客席からブラヴォーが飛び交ったり印象深い場面がいくつかありました(この楽曲も谷川・武満のコンビですね)。


たまたまコンサートの前日に武満のギター曲を聴きなおしていたんですが、今回のショーロクラブのアレンジって大胆な置き換えなどでもなんでもなく、武満の空気感やコード感、雰囲気、テクスチュアを再現する試みだったのだなあ、という風に思いました。武満のポピュラー・ソングがほかにどれだけあるか分かりませんが、第2弾があるなら続けて欲しいし、このコンサートも単なるレコ発、企画モノコンサートで終わらずに定期的に行われて欲しいです。人数が多いからスケジュールなどが合わせにくいのだろうな〜、とは思うのですが。今日の観客の人だけにしかあれが味わえないのでは、とても残念。逆に言えば、今日観に行けた人はとても幸福でしたね(私も幸福)。CDもあと150万枚ぐらい売れて欲しい。

島村楽器のお題「プレゼントしたい楽器」に答えます。

奥さんが最近友達とリコーダー・アンサンブルを始めたので、ウィンドシンセサイザーをプレゼントしたいですね! あのリコーダーを入れる用の厚手の布袋からニュニュ〜っと楽器を取り出して、さあ吹こうか〜、ってなったときにバリンバリンにTruthなリードサウンドがプヒャ〜、と鳴るわけです。それってとってもカッコ良い。おもむろにつけ髭などしてもらって「宝島」を吹き出す、そんな奥さんになってもらいたいです。

ガブリエル・ガルシア=マルケス 『百年の孤独』:4年ぶり、2度目の通読。でも最高。

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
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季節はすっかり冬に入りかかった感があるけれど、遡ること一ヶ月ほど前、秋の乾いた風が駅のホームを待つ人の風を撫で始めた頃「あ、今猛烈に『百年の孤独』が読みなおしたい! そう今すぐに!!」という啓示を受けて書店にダッシュ(持っていた旧版は人に貸したままになっていた)そうしてこの世紀の名作を再読することになったわけだが、再読でもいきなり面白すぎて涙が出てしまうほどの傑作である、と確認してしまう私なのだった。自分語りになってしまうが、たぶんこの本を読んでいなかったら随分と世界が変わってしまっていたのではないか、この本に出会わなかったら集英社ラテンアメリカ文学シリーズを揃えたりしなかっただろうし、小説を書いたり、小説を集めた本を製作したりもしなかっただろう。そうした意味でさまざまな《はじまり》を生んだ本なのである。今『百年の孤独』を読んでしまった世界にいる私は、並行世界の『百年の孤独』を読んでいなかった私に対して「ハロー! そっちの世界の想像力はどうだい? 寂しくはないかい?」と声をかけたくなるけれど、今この瞬間もあらゆる選択肢によって無限に枝分かれする量子論的宇宙の次元を超えて届く声の大きさを持たない私は、幾分寂しいものとなったであろう想像世界にいきる並行世界の私(存在しない)を憐れむことしかできない。


登場人物が覚えられない(だからこそ、良い)だとか、無数の逸話がフラクタルのような構造を描く、だとか、またローカルに閉じた村が外部との接触によって栄えるのだが、その外部によって搾取され、また衰えていく様子、だとか、愛だとか、孤独だとか、様々な意味付けや読み方が可能な小説なのだろう。それだけ深みがある、というか語りがいがある本であるのは確かだし、実際、今回の再読で「え、これはヒッチコックをパクッてるのか?」だとか「え……これってUFOが登場するってこと?」だとか新たな発見があった。でも、そんな風に分析的に読んでしまうよりも前に、まずはこの圧倒的な想像力に驚嘆すべきなんだと思う。発見は、驚きの後にちょっと遅れてやってくるのがちょうど良い。500ページ弱の長編は、体感ページ数で言えば100ページほどにさえ感じられ、本当にあっという間の時間に、無限大のイメージがパワフルに押し寄せ、後半は「えええ、もうすぐ終わってしまう……あ、あ、あ、終わった……」と愕然とするしかない。超楽しいのに、読み終わるのが悲しい。


あらすじを語ろうとすれば、すべてが嘘になってしまう。物語の本当に骨子を抜き出せば、いつまでもガキンチョのままである男と、それを見守る母の話とも言えるし、その母はいつも幸福を手に入れられずに耐え続けるお話でもあり、もっと単純化すると夢想家と母性の連鎖、とも言える。人間の想像力はこんな風にも使える、ということは想像力の誤った使い方、あるいは結果として誤った使い方になってしまった歴史が目についてしまう日常において、希望とそっくりに見えてしまう。また、4年ぐらいしたら読もう、いつか原著で読めたら良いな。

Impulse!のマイケル・ブレッカーを聴く

Michael Brecker
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Don't Try This at Home
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Tales from the Hudson
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今年はずっとブラジル/ラテン音楽ばかり聴いており、というかディスクユニオン新宿ラテン・ブラジル館にばかり行っており、他のジャンルはかなりおろそかになっている状態が続いているのですが、その傍らでDCPRGのImpulse!レーベルとの契約、そしてライヴ・アルバムのリリースなど、日本のジャズ(かなりオルタナティヴな方面の)でもちょっとした動きがあり、そうした動きのなかで「Impulse!期のマイケル・ブレッカーポリリズム(誰もそんな構造は聴いていないけれど)」という話がでてきていて、ほう、それは興味深いですね、じゃあ、聴いてみましょうか、となったりするわけです。


とりあえず、初リーダー作の『Michael Brecker』(1987)、『Don't Try This At Home』(1988)、『Tales From the Hudson』(1996)を選んでみたのですが、ドラムはジャック・デジョネットが固定、ベースはチャーリー・ヘイデンだったりデイヴ・ホランドだったり、そこにハービー・ハンコックやらマッコイ・タイナーやらパット・メセニーがいたり、参加してるミュージシャンの豪華さがとにかく目につきます。当然腕達者さんばかりですから演奏内容は大変なことになっている、としか申し上げようがない。楽曲は超スムース(笑)なのに異様な音の密度であって、ラグジュアリーなイキフンと汗だく感のレイヤーが同時進行しているところが楽しいです。EWIの音色もまた味わいがあってねえ……。



同時期にはウィントン・マルサリス新古典主義みたいな勢いでジャズに取り組んでいたわけで、そこで取り組まれている音楽とのギャップはあまりにも大きく、ジャズともフュージョンとも言えない異形の音楽、なのにグラミー賞……というのがこの時期のマイケル・ブレッカー、と乱暴にまとめてしまうとそんなところでしょうか。それって面白くね〜か?


この手の故『スイングジャーナル』でベスト・プレイヤーに選出されがちなアーティストのCDは、枚数がそれなりに出ているせいなのか中古盤価格が大変リーズナブル。セール期間を利用すれば、ディスクユニオンで「Tenor」のコーナーの「Michael Brecker」のゾーンから適当にCDを掴めるだけ掴んでレジに持っていっても、一回の飲み代にも満たないであろう。それでしばらく楽しめるのだからうへへ……。