ホルヘ・ルイス・ボルヘス 『七つの夜』
世の中には読書家と呼ばれる人種がございます。私もそうしたタイプの人間を自認するもののひとりでありますが「では、なぜ、あなたはそうも読み続けるのか」という問いに対する答えは人によって千差万別だと思うのです。「単なる暇つぶしだよ」と答える人もあるかもしれませんし、また同語反復的に「そりゃ読書が好きだからさ」と答える人もあるかもしれません。そうした無数の声のなかには「読むために、読む」というものもあるでしょう。ボルヘスがおこなった連続講演がもとになってできたこの『七つの夜』という本を読みながら、私は自分のなかにあるそうした声を自覚しました。ここ数年の私の読書は、ボルヘスを読むための読書だったのでなかろうか、と。ボルヘスを読むために、セルバンテスを読み、あるいはラブレーを読み、またはダンテを読み、そしてアリストテレスやプラトンを読む(そのなかでラブレーを読むために、アリストテレスやプラトンを読む、という風に連鎖が生まれていきます)。そうしたある種の教養がなければ、ボルヘスが描く世界を味わい尽くすことはできないのです。一方でそれらの教養を身につけさえすれば、ボルヘスの語りは読者を今・ここにある世界から別な世界へと連れ去る導き手となるのです。そして、ボルヘスの声・語り口を訳文に反映させたというこの講演録もまた、ボルヘスを読むために読まれるべきテキストと言えるでしょう。秘密をこっそりと打ち明けるように「神曲」、「悪夢」、「千一夜物語」、「仏教」、「詩」、「カバラ」、「盲目」といったテーマについてボルヘスは語ります。それはテーマについての批評的な意味解説・教育的な内容であるだけではなく、ボルヘス自身の世界について語られたものに他ならない。現実にはあらぬ無限、時間の流れや感覚が、ボルヘスの作品では幻想的に提示されますが、それは単なる幻惑や驚異を喚起するファンタジーという意味ではなく、違う宇宙を体験させる神秘主義的なテキストなのです。講演録のテキストは、そうした彼のフィクションの性格を明らかにするものでありながら、フィクションと彼の講演やエッセイの地続き性も強く感じさせます。(ボルヘスの詩を私は読んだことがありませんが)ボルヘスはフィクションとエッセイなどでジャンル分けされて読まれるものではなく、ボルヘスのテキストは皆、ボルヘスとして読まれるべきものなのでしょう。