sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

くるり/言葉にならない、笑顔を見せてくれよ

 先日、自分のなかでくるりリバイバルみたいなものが来ておりまして、「ばらの花」だの「ロックンロール」だの「花の水鉄砲」だのを繰り返し聴いていたことがあったんですが、こうしたリバイバルがやってくるということ自体、その音楽が自分にとって過去に通りすぎてしまった音楽になっていることを意味しているように思われつつも、しかし、その音楽を聴けば聴くほど実際にはろくでもなかったハズである学生時代の生活が美しいもののように回想されてきもし、私のなかで一時期のくるりの音楽が「美しい青春時代(虚構)」をフラッシュバックさせてくれるトリガーとなっていることを意識したのでした。前置きばかりが長くなっておりますが、私にとって、くるり、というバンドはそういうものである、ということを書いておきたかったのです。


 さて、そんな意識を持ちつつ聴いた、くるりの新譜。これはもう素晴らしかった。自分のなかでこのバンドへの気持ちが離れてしまったのは『ワルツを踊れ』以降の流れが「自分の好きだったくるりと、なんか違うぞ、おい」と思ってしまったからだった、とするならば、いろいろやってきて、今回はもっとシンプルに音楽を作ってみた、と言わば原点回帰的な感じ制作されたこのアルバムから「俺が好きだったくるりの音」を感じたのは必然と言えましょう。大村達身脱退以降のアルバムでは、まず間違いなく好きな音ですよ、これは。不要なものといえば、タナソーが書いているライナーノーツぐらいなものです。このライナーノーツもなかなか興味深い事実が書かれている、とはいえ、はっきり言ってどうでもよろしい。あまり深いこと考えずに、好きな音を愉しむべきなのです。


 ただ、原点回帰的な趣きがあるとはいえ、それは単なる過去の焼き直しではない。そこがやっぱり、信頼できるロック・バンドたるゆえん、というか。捏造された○○音頭から、沖縄民謡へと跳躍する「東京レレレのレ」に象徴される、岸田繁のネジれたユーモアはこれまで以上に鋭く感じられますし、「街」以来ではないか、と思われるささくれ立ったような声で歌われるアルバム終盤の「犬とベイビー」、「石、転がっといたらええやん」には胸をズイズイと刺されるのでした。これを「懐かしいのに、新しい」などという糸井重里が考えそうなキャッチコピーでまとめてはいけないと思うのですが、良いな、と思えるのは確かなアルバムです(しかし、Amazonで購入すると新譜なのに定価よりも700円安く買えてしまうのが不思議。Amazonには呪術師でもいるのか。定価で買ってしまったから悔しい)。