sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

勉強の止め時がわからない

 今度の日曜日に「データベーススペシャリスト」という資格試験を受けるため、その勉強を続けている。会社員になって早4年目。コドモの頃は「オトナになったら勉強しなくていいんだ!」と信じていたのに、オトナになってみると「仕事をしたうえに勉強しなくちゃいけない」という二重苦に陥っており、だまされたような気がしてならない。いや、コドモの頃、周りに勉強しているオトナがいなかったから勝手に思い込んでいただけなのかもしれないが。とはいえ、これまで私は勉強しかしてこなかったタイプの人間であるため、勉強しない生活を続けるとなんだか罪悪感に苛まれるのである。やめようにもやめられない感じもするのだ。フーコーの言葉を用いるならば、規律の内面化! であろうか。

 会社員になってから取った資格を数えてみたら以上のような感じになった。「たくさんとった」という感じもするし、リスト化してみると「そんなに立派でもないな」という感じもする。少なくとも「もういいや、もう満足」という感じはしない。果たして、自分はどこで勉強をやめて良いものやらよくわからないのである。一応、IT業界に身をおくものとして「資格は持っておいたほうがいい」と言われるし、会社からも「資格とったらお金あげるよ」と言われている。なので「データベーススペシャリスト」の受験申込をしてみたのだが、あまりの勉強のツラさに「俺はもう、これ以上(情報処理処理系の)資格は取れないんじゃないか? もうこの支配から卒業しても良いんじゃないか?」と思った。


 こんなツラい思いを続けるよりも、机の傍らに積み上げられている読んでいない本を読んでいたほうが、意義深い人生が送れるんじゃないか? 大体、資格なんか実務でまったく役に立たないし(そもそも実務でデータベースの設計なんかやってないし)、上位資格を取っていっても劇的に給料があがるわけでもない……というのは、勉強をしない方向に進むための自己合理化である。劇的に生活をかえるなら、公認会計士とか、税理士とか、そういう方向に進めば良いのか? それは今よりもツラそうだ。


 高収入が望めそうな資格に挑戦しようとすると、今よりもきっと「ホントに受かるのか? この努力って無駄なんじゃないか?」って意識に悩まされるだろう。去年、マジで勉強して中央大学法科大学院を受験して(落ちたとき)「あ……すっげー、無駄な時間すごしちゃったんだな……あの時間で何冊本を読めたかな」って思ったしなぁ……とかいうのもやっぱり、楽なほうに逃げるための口実であって、そういうのを認めちゃうのはダメだ! とか思う。


 結局何が言いたいかというと「勉強の止め時がわからない」っていうことである。とりあえず勉強を止めるための決定的な理由が、今の自分にはない。他の人はどこで止めてしまうのだろうか? 「こどもができて時間がとれなくなった」とか「仕事が忙しくなりすぎちゃって……」とか、まぁ色々あるのだろう。勉強を止めるにあたって「これは逃げじゃない。仕方がないことなんだ」と折り合いをつける理由を見つけることは難しい。