sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ピエール=シモン・ラプラス『確率の哲学的試論』

 18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したフランスの科学者、ピエール=シモン・ラプラスの本を読みました。本の解説によれば、この人は数学者としてとても有名で、とくに確率論においてはそれまでの確率論を統合しつつ発展させ、古典的確率論を体系化した、という大きな業績をあげた人だそうです。そのほかにも天文学でも大きな業績をあげている。まぁ、なんだか大変立派な方なのですが、自身の業績よりも「ラプラスの悪魔」やポケモンの名前の方で知られています。

ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。

 これが有名な「ラプラスの悪魔」についての、ラプラス自身による記述ですがこれはこの本の冒頭のほうに出てきます。あらゆる物事の法則を知っていて、あらゆる物事の情報を持っていて、それらを分析することができる知性があるならば、ソイツはなんでも分かっちゃうので、未来も予知できちゃうであろう……というのが彼の主張です。この考えは、後の量子論の研究によって否定されてしまうのですが、今なお魅力的ですね。ラプラスの思考は、超越的な理性を想定したもの、と捉えることができますし、彼が確率に執着していたのも、その理論によって物事の法則を帰納的に導き出し、そして超越的理性に近づこうとしたのではないか、とも考えられます。このあたりの動機はパノフスキーによるスコラ学に対するコメント「明瞭化のための明瞭化」に近いのかもしれない。


 結構、頭を使わなければ理解できない箇所が多いので、本当に時間がある人向けの本ですが、丁寧に読めば読むほど面白いです。高校数学、あるいは各種試験で登場する確率の問題のネタ元みたいなものがよく分かったりします。サイコロやコインはもちろん、つぼの中にある色のついた玉といった例、このような言い回しは19世紀から変わらないものなのだなぁ……といったところが感慨深い。確率論の研究成果によって、なんでも予測できるようになる! という過信みたいなものを感じたりもするのですが、その点も含めて興味深く読みました。科学でなんでもできるようになる! といった典型的な近代理性の誇大妄想感を感じる本でもあります。