sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール/ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ

 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの新譜を聴きました。MySpaceで楽曲が公開されていたこともあり*1、発売前からかなり期待していたのですが、これはちょっと感心しない……というか、結構スッと聞き流せてしまいました。もちろん嫌いなワケではないのですが、特別な感動が湧き上がらず、これなら前作『記憶喪失学』*2の方がスゴかった気がします。


 冒頭のマサカーのカバーで、小躍りしてしまいそうなスタートを切りつつも、オリジナルの演奏を二.五倍ほど延長したカバーは途中で失速する印象があります。この失速を菊地成孔がまさに『Killing Time』の何度目かの再発盤のライナー・ノーツに寄せた言葉を借りて表現するならば「この音楽の構造に於ける輪郭線の鋭さと速度」の前に挫折した結果なのかもしれません。もちろん、カバーという行為において、オリジナルを超えなくてはならないだとか、オリジナルを完全再現しなくてはならないだとか言う拘束などはないのですけれども。


 全体的に「現代音楽とジャズとラテン音楽のブリコラージュ」とか(言葉の意味もよくわかっていないながらに)言って適当に有難がっておけば、とりあえず批評っぽく収まるであろう展開で、一言で言えば「凡庸さ」、さらに言えば「退屈さ」に襲われてしまいました。もうちょっと良いように言えば、この凡庸さはある意味で「甘さ」の裏返しなのかもしれない。ここまでハマれない理由はおそらく、前作まで作曲で参加していた中島ノブユキの不在なのではないか……とか自己分析しています。