sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

炭山アキラ『入門スピーカー自作ガイド』

 実際に番組を目にしたわけではないのだが、先日のタモリ倶楽部は「塩ビパイプで自作するスピーカー」の特集だったらしい。それで「今年の夏はスピーカー自作に取り組もう」と思い立った。私もいつまでも貧乏な学生とは違うのだ、貧弱なオーディオ・システムで音楽を聴くような年齢ではないのだ!ふかわりょうに作れるなら私にだって!――というわけである。とはいえ、どういう風に作れば良いかよくわからなかったし、かつて青少年のバイブルだった『ホットドッグプレス』にも「恥ずかしくない童貞の捨て方」は紹介されていても、スピーカーの作り方は紹介されていなかったはずなので、まずは入門書を読んでみた。


 これはアマゾンのカスタマー・レヴューにも「入門に最適」とあるとおり、大変わかりやすくて面白い本だった。「大丈夫、君にもできる!」という感じで励まされる感じも良い。基本的なスピーカーの構造や、スピーカーの特性を示した数値の意味も体系的に学ぶことができるのも収穫である。私は何事も、基礎の基礎から(例えばプログラム言語なら『Hello, world!』からみたいに)勉強しないとまったく身に付かないタイプの人間なので、こういう風にステップを踏みながら知識を紹介してくれる本は助かる。


 あとは、スピーカーの正しい設置方法などについても詳しく書かれていて、これはすぐにでも実行したいと思った。「ミニコンポに同梱されているような市販の小型スピーカーも、床に置いて再生しちゃいけない(低音が床に反射してぼやける)」とか、へぇー、って感じなのだが、今まで思いっきりスピーカーを床に置いて音楽を聴き、まったくの無頓着だった自分としては「もしかしたら、別に良いスピーカーなんか要らないんじゃないのか……?」と思わなくもない。


 本の内容と離れてしまうけれど、音楽ファンとオーディオ・ファンは実のところ、まったく違った人種であるのだ、ということも再確認してしまう(もちろん、音楽ファンかつオーディオ・ファンという人もいるのだろうけれど)。両者が音楽を鑑賞する態度における違いを、アドルノと絡めながら語ることも可能であろう。そのように語ることの意味はさておいて。

アドルノ 音楽・メディア論集
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 ちなみにアドルノが録音の音質に触れている文章は『音楽・メディア論集』にいくつか収録されている。そのひとつは『ラジオ・シンフォニー』という論文で、ここでのアドルノは批判的である――「ラジオによるこれらの変化*1すべてがシンフォニーを室内楽に変えてしまう」と。この変化によって音楽の構造は破壊され、同時に、聴衆の耳も破壊されてしまう、とまでアドルノは述べている。この論文が発表されたのは1941年。しかしこの後、録音技術が発達し、LPレコードが普及した頃に書かれたエッセイ*2では、そういった批判が180度方向転換し絶賛に変わる。「LPレコードの登場によって、音楽を考えうる最上の姿で鳴らすことが可能となるのだ」(!)と。


 以上の録音に対するアドルノの態度の変化は大変面白いのだが、彼がオーディオ・マニアのように「良い音(あるいは好ましい音)を追求する」といった態度を推奨したかどうかは不明である。想像に過ぎないが、おそらく、そういった態度には辛辣な言葉を残しそうではある。音に対するフェティシズムは構造的聴取の妨げになる……云々とか言いながら。


 思ったより脱線が長くなってしまったが、とにかく、今年の夏はスピーカーを作って、より一層巣篭もり消費に明け暮れるのである。

*1:ダイナミック・レンジの縮小や、細部が不明瞭になることなど

*2:『オペラとLPレコード』。1969年、アドルノの最晩年に書かれたもの