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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

マルセル・モース『贈与論』

贈与論 (ちくま学芸文庫)
マルセル モース
筑摩書房
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 社会学の古典的な名著をかなりいい加減に読む(かなり大量の注釈がついていたが全部飛ばした……)。新訳のせいかとても読みやすかったが、あまりに読み易すぎていい加減に読んでいたら、さくっと読めてしまった。クロード・レヴィ=ストロースジョルジュ・バタイユ、さらにはジャン・ボードリヤールにも影響を与え……云々というということもあり、『贈与論』に言及した文章はこれまでにいくつも目にしてきたが、割とあっさりした著作で拍子抜け(そういった影響の強い本とは、大概ものすごく難しいものだと思っていたので)。それからこの本を読むまでマルセル・モースがエミール・デュルケムの甥っ子だという事実を知らなかった。彼は幼少の頃からデュルケムの教えをうけていた、とか。なんだかすごい幼少時代である。羨ましいかどうかは別として、おじさんがものすごく偉い先生ってどういう気持ちなのだろうか。


 有名なので今更説明することもないかもしれないが、『贈与論』で記述されているのは、主に“未開社会”における「ポトラッチ」という慣習についてである。これはある人が贈り物をしたときに、その贈り物を破壊する、という行為である。第1章から第2章までは、この奇妙な慣習についてミクロネシアポリネシア、インディアンなどの事例をつぶさにみていくことによって「ポトラッチは特殊な習慣ではなく、広く認められる習慣である」という分析をおこなう。この際、モースはこのような贈与行為によって社会関係が生まれていることも主張する。ポトラッチは単なる無意味な奇習ではなく、部族間や部族内の連帯を高めるために(社会の紐帯を強めるために)有用な行為である、と説く。


 その後、第3章から第4章で展開されるのは「実はこの習慣、ヨーロッパにもあるんじゃないの?もちろん今もその名残があるんじゃないの?」という分析である。経済活動はそれまで人間の合理的理性が発達し生まれたものだと言われてきた――だから、ポトラッチなんか野蛮なことやっている“未開社会”では経済活動なんか生まれないのだ、みたい考えへの反証がまたそこではおこなわれる。ポトラッチにしても、他の贈与関係にしても原理的な部分は現代の“合理的な社会”と変わりがない。「こうした道徳は永遠である。それは最も進化した社会にも、未来の社会にも、創造しうるいっそう未発達の社会にも共通である」。


 解説でも触れられているが、以上の過程はものすごく美しい。「うむ!」とムダに唸りたくなるほど、バシッとキマりまくっている。面白かったので、ほかのモースの著作にも手を出したくなった。