sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ミシェル・ゴンドリー監督作品『僕らのミライへ逆回転』

Be Kind Rewind
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 今日は、ミシェル・ゴンドリーの新作も観た。これは個人的な泣きのツボをバシバシ突いてくる作品で、上映中4回泣いた(登場人物が、無垢な感じで頑張る映画、みたいなのに弱いかも知れない……目が綺麗な黒人のこどもとかにも……)。トレーラー住まいのナード臭い役をジャック・ブラックが演じていて、最初出てきたときから「マジで風呂に入っていなさそうな髪型」とか変なTシャツとかから溢れてくる存在感が圧倒的であり、過剰である。スクリーンに映っている間、常に笑えるポイントがある役者ってすげーよなぁ……と思ったりした。

 映画のストーリーにおいては、ファッツ・ウォーラーというジャズ・ミュージシャンがかなり重要な役割を果たしている。このミュージシャンは、デューク・エリントンなんかと同世代の人なんだけれども、モダン・ジャズが隆盛する頃になくなっているため「ジャズ≒(ビ・バップ以降の)モダン・ジャズ」となっている昨今においては、名前ぐらいしか知られていない人だと思う。ジャズがアート化される前に活躍して亡くなった人なので「ジャズ史上ではほとんど重要視されていない」と言っても良いかもしれない。しかし、このモダン・ジャズ以前の黒人ジャズ・ミュージシャンのアメリカ文化における位置には興味深いものがある。ファッツ・ウォーラーにしても、ルイ・アームストロングにしても「エンターテイナー」なのであり、それはチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスのように「アーティスト」としては捉えられていないだろう。これは西洋音楽史における古典派とロマン派のの扱われ方にも似たところがあるかもしれない(エンターテイナーとアーティストの境目には、それぞれ、チャーリー・パーカーベートーヴェンがいる)。映画の内容から話が大幅にそれたけれど、アーティスト化される以前のジャズ・ミュージシャンについての言及はあまりにも少ない。ホントに映画とは関係ないが、ビ・バップ以前にも今後は目を向けていきたいなぁ、とも思った。