sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

M・ナイト・シャマラン監督作品『レディ・イン・ザ・ウォーター』

レディ・イン・ザ・ウォーター
ワーナー・ホーム・ビデオ (2008-07-09)
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 先日『ハプニング』を観た後にid:acidtankさんと会って「シャマランの作品ってこれが初めてだったんだけど、いっつもあんなテイストなの?」と聞いたら「あんな感じ。『レディ・イン・ザ・ウォーター』だと本人が『世界を救う作家』の役で出てくる」と教えられたので観ました――「世界を救う作家!なんだよそれ!!」って観たくなるじゃん、やっぱり。で、ものすごく面白かった。画面に映ってるシャマランの顔をずっと観ていたらスリラーの頃のマイケル・ジャクソンの顔を思い出してしまってね……肩が変な風になっている赤いジャケット着て欲しいな……って感じだった。インド映画とか観なれてる人ならそうは感じないかもしれないけれど、ものすごい重要なキャラクターとしてインド系の人が画面に出てくる、ってそれだけでインパクトがデカい気がする。
 さりげなく、っていうか気がつかない間に伏線の種みたいなのが蒔かれてて、それらの種が気がつかない間に一気に成長して、伏線が回収達成される!みたいなところが多々あり、それは観ていて快感だった。「うわ、そこつながんのかー!」みたいな。「え!?コイツかよ!!」みたいな。こういうのってなんか好きなスポーツ観戦してるときの感覚に近い。前に似たようなこと書いた気がするけど。物語の運動量に驚愕する、っつーか。97年の伊藤智仁(ヤクルト)が投げた高速スライダーを観たときと私の中では同じ感覚なのね。

 でも、その驚きってやっぱり一回性のものだし、反復されてしまうと「何度見てもすごいなー」って思うけど、最初観たときの「腰が抜けるかと思った!」みたいな感覚に変ってしまう。この作品での点が線になって繋がって伏線が回収されるときの気持ち良さは、伊藤智仁の高速スライダーがもってる気持ち良さと同じぐらいの強度だ、と私には感じられる。まだ一度しか観てないけど。きっと、次観ても「やっぱ、ここすげーなー」って思う、たぶん。
2008-08-10 - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ
 真魚八重子さんが書いたこの文章を読んでから少し考えてたことと、ここまで私がダラダラ書いてきたこととは繋がってる気がする。私が思ったのは

「オチがすぐわかったから面白くなかった」「オチがたいしたことなくてつまらない」という人は、オチだけを確認するために2時間も映画館に毎回毎回通ってるのかと不思議でしょうがありません

 という態度も映画を観る態度として、正しい態度なんじゃないかな、ってことだったんだけども。
 「シャマランっていうすげースライダー投げるヤツがいるらしいぞ。しかも左のサイドスロー。去年まで台湾で投げてたらしい*1」みたいに期待して球場に行くのって、ものすごく自然に思われる。映画は野球と違う、と言われたらそれまでなんだけどさ。「オチがすぐわかったから」「たいしたことない」っていうのは、きっと観た人の想像の範囲に収まってしまった、ということであって、だから「つまらない」と言ってしまうのもすごく自然なことなんじゃないかな、って思う。結局、なんで驚くかって観察の対象が自分の想像力を超えて目の前に存在してる、ってことだと思うから。
 そういう見方は批評的な態度、批評に近い態度とは到底言えなくて、むしろ評価的な態度と呼ぶべきものかもしれない。オチにこだわる人は「オチー」っていう新しい単位を作って、オチがどれだけ想像力を超えてたかを尺度に点数表を書いた方が適当な気がする。「10オチー=地球じゃないと思ったら地球だった!」みたいな。それまでの演出とかの話を抜きに、オチだけで評価するってかなり雑な映画の見方だと思うけど、ニーズ(びっくりしたい症候群的な)はありそうだ。

*1:うわー、そんなピッチャーいたら観てぇ……