sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』

 最高。間違いなくこれは宮崎駿の最高傑作だと思った。素晴らしい!久しぶりにこんなに圧倒されている時間が長い映画を観た、と思う。いやー、ホントに観て良かった。宮崎駿は世界屈指の映像作家であり、世界最強のアニメーション作家であることの証を改めて確認してしまうような作品である。繰り返すけれど、本当に素晴らしい。
 とはいえ、単純に「過去の作品と比べて最高の作品だ」ということは言えないだろう。例えば、物語性で言えば『風の谷のナウシカ』、テーマ性で言えば『もののけ姫』あたりが想起される。しかし、この『崖の上のポニョ』では、今上げたような要素は希薄である。物語もテーマも極めてシンプルで「(理由はよくわからないが)ポニョと宗介の関係性が世界の存続に繋がる」というまるでセカイ系な内容だ。ほとんど、童話のような話になっている――というか『人魚姫』をほとんどそのまま下敷きにしている*1
 この映画を語ろうとするならば、だからこそ、これまで宮崎駿に接してきたときの言葉ではない言葉でもって語らなければ、積極的な意味を生み出すのは難しいのではないか、と思う。この物語にどういったテーマが隠されているのか、それを見ようとしても無意味であろう――なぜなら、そういった映画ではないのだから。もっと言ってしまえば「言葉で語るための映画」なのではなく「目で観、耳で聴くための映画」なのかもしれない。この作品は「映画というより映像」、「映画というより音楽」なのだろう。シンプルな物語は、それを「映画」として成立させるためのエクスキューズに過ぎない。逆に言えば、そのようなシンプルな物語でなければ、これほど情報量の多い映像/音楽作品は映画にはならなかったようにも感じられる。
 こう言った意味で、この映画のスコアを書いた久石譲の功績は大きい。音楽と映像の融合具合は、もう冒頭の「ポニョの最初の逃走」のシーンからして完璧である――ラヴェルの《ダフニスとクロエ》の第二部の始まりからほぼ引用した音楽(それは強烈に『水』のイメージを掻き立てる)と、無数のクラゲの生命が生まれていく光景は、ここだけで涙してしまうほど素晴らしい*2
 実は劇場で宮崎駿作品を観たのは『もののけ姫』以来だったのだが(ジブリ作品はすぐテレビでも放送されるから……)、劇場で聴く久石譲の強烈なインパクトに驚かされてしまった。これは是非、テレビではなく劇場の大きな音で聴いて欲しいと思う。音が大きければ大きいほど感動が増すような気がする。バウスシアターの爆音ナイトでも取り上げて欲しい。
 非言語的な要素といえば、作中にはいくつか非言語的コミュニケーションが見られた。これは重要な点であるように思われる――論理的/言語的なコミュニケーションは「大人」によっておこなわれ、非論理的/非言語的なコミュニケーションは子供である宗介とポニョの間でしかみられない(ポニョが宗介を模倣することによって、人間としての経験を積んでいくシーンはかなり感動的だった)。この映画にテーマを見出すとするなら、やはりこの部分だと思う。

*1:しかし、そこでは他にも様々な神話や童話のモチーフが借用されている。例えば終盤に登場する『トンネル』は、オルフェウスとエウリディケの神話と関係しているように思われた

*2:あとやたらと7拍子の曲が多くて、個人的にツボだった