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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』

硫黄島からの手紙
硫黄島からの手紙
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 『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』のどちらが良く思えるか、というのは完全に趣味の範囲の話だけれど、映画としての分かりやすさとか上手くできている感じは断然こちらの『硫黄島からの手紙』だったと言えると思う。どちらも文句のつけようが無い傑作で「どうやったらこんなにポンポンすごい映画を続けて作れるんだ!」と唸らざるをえないが、前者が徹底したアンチヒロイズムを映画のなかに敷衍しているのに対して、後者は渡辺謙演じる栗林中将を中心とした正攻法のヒーロー映画として撮られている。だから、後者に分があるように感じられるのは自然である、と思う。しかし、イーストウッドって映画の外でも中でも超人じみているな……。
 面白いのは二宮和也の存在感だった。ジャニタレが映画に出ると「演技がヘタ!」とか酷評されるけど、この映画での二宮の演技もそういう評価をされても仕方が無いものだったと思う(周りに上手い役者がいるので、余計それが目立ってしまう。とくに加瀬亮がすごい……)。
 冒頭からひとりだけヘラヘラしていて、その軽さがむちゃくちゃに浮いている。テレビを観ないのでそんなに知らないけれど、バラエティ番組に出てるノリのままで出演している感じさえする。でも、その浮き方が観ていて本当に面白かったのだった。周りが「フィクション」に馴染んでいる(現実的にはありえないけれど、フィクションのなかでは生き生きしている、ような)のに、二宮ひとりだけが「現実っぽい」(それはフィクションのなかで映えない)という映画のキズがこの映画のなかで描かれた問題を、現実へと地続きなものとさせているような感じもする。

木村拓哉が見事に貧乏武士を演じている』っていう評価を聞いたコトもあるけど、それはちょっと違うよなぁ・・・と思ったっす。木村拓哉が演じる人物は、自分の仕事について非常に客観視をしていて、自分の仕事にバカらしささえ感じているし、本当は剣術道場を開きたいと思っている。しかも、侍の子だけでなく、農民の子も町民の子も分け隔てなく、その上、お仕着せの型にはまった教え方ではなく、一人一人の個性にあった教え方をしたいとまで考えていて・・・つまるところ、心性は、ほとんど現代人だとワスには思えて、木村拓哉が演じたのは、侍社会に迷いこんだ現代青年だったんじゃないかと・・・(マトモ亭 後だしジャンケン連敗録の『武士の一分』レビューより)

 つまりはこういうことだ。このキズがなかったとしたら「栗林中将を美化しすぎ!」、「玉砕を美化した危険な映画!」とか批判されてたかもしれない。渡辺謙の演技は、なんかフィクションとしてやりすぎだと感じられるし。
 典型的な(歴史の中で恥ずべきものとされている)精神性を重んずる帝国軍人が指揮する部隊へと着任した栗林が部隊の非合理性をバッサバッサと合理性へと置き換えていく……この手腕から導き出される組織管理の方法とは!――みたいな啓発本が出ているんだろうな、と思って調べたらやっぱり何冊か出ていた。こういうのはちょっと複雑である。