sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

音量と再生、そして「《夜の歌》は夜聴くべきか?」

 iPodやCDコンポなどを使って我々は現在日常的に音楽を聴いているわけだけれども、あらゆるメディアに録音された「音楽」というのは実に記録されたとおりに再生されるものであり、その「内容」は普通なら簡単に改変できるものではない(サンプラーによる細分化やCDJによる再生スピードの変化などはさておき)。プレーヤーにCDをセットしてスタートを押すと記録されて通りの音楽を「再生する」――文字通り、音楽が再現されるのである。しかし、聴取者には「記録された音楽」を改変し得るパラメーターが唯一残されている。それが「音量」というものだろう。

 「音量」を自由に改変することによって、我々は部屋が揺れるほどの爆音で演奏されるハイドン弦楽四重奏や、金管が蚊が鳴くような音で叫ぶショスタコーヴィチ交響曲などを聴くことが可能になった。しかし、個人的にはどうしても「音楽は記録されたような音量で聴かなくてはならないのではないか」と思う。もちろん音量の設定は自由だ、けれども、それを自由にしてしまうことで「再現されるべき音楽」の意味はかなり変わったものになってしまう可能性があるのだ。前述した爆音のハイドンや、蚊が泣くようなショスタコーヴィチは現実にはあり得ない音楽だ――故に音量の自由な設定は「再現するもの」としての録音技術のあり方を跳躍して、我々を不思議な状況へと導いてしまう。それはそれで面白いのだけれど、「クラシックのCDを聴く」というとなるとやっぱり音量にはこだわって欲しい、と思う(蚊の鳴くようなショスタコーヴィチなんて面白いか?)。

Mahler: Complete Symphonies
Mahler: Complete Symphonies
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 ただ再生環境、特に住宅問題を考えると「何時でも記録された音量で聴く」というのは難しい話である。アパートの隣の部屋にどんな人物が住んでいるか分からない昨今、音量にこだわったばかりに殺傷事件になることも考えられなくない。本来、クラシックとは「夜に演奏されるべきもの」だけれども、自宅で録音を聴くとなると誰もいない平日の昼間に聴くのが現代では適当なのかもしれない。

 ということで、隣の部屋に誰もいない状況で何を聴いたら気持ち良いか、ということを考える。せっかくだからそこは後期ロマン派の大規模な管弦楽作品を爆音で再生するのが良いのではないか――となるとやっぱりマーラーかなぁ、などと思う。交響曲第7番《夜の歌》も、昼間に聴かなくちゃいけないというのはなんとも言えないところだけれど。

 マーラーはフォルテッシモで本棚が揺れるぐらいの音量で聴かなきゃ、とは思う(なんだかよくわからない記事になってしまった)。