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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #12

Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics)
Frances Yates
Routledge
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今回は第9章「反魔術 (1)神学的問題 (2)人文主義的伝統(Against Magic (1) Theological Objections (2) The Humanist Tradition)」を見ていきます。前回までは主にルネサンスにおける魔術リヴァイヴァルにどういった背景でおこったかを探っていましたが、16世紀になると魔術に対する警鐘も高まっていったのですね。アグリッパも天使と悪魔を呼び出す大魔術師と言われたり、ピコの甥であったジョヴァンニ・フランチェスコ・ピコは古代神学を異教の偶像崇拝だとし、叔父やフィチーノの魔術を否定しています。反魔術の勢いはカトリックからもプロテスタントからもあがっていたそうです。ローマ教皇、アレクサンドル6世は魔術に寛容で異端審問に引っかかっていたピコを解放するなどしていましたが、彼の考えはまったく支持されていなかったのですね。ここまでが神学的な問題、として整理された反魔術です。


次にイェイツは「人文主義的伝統」の流れでおこる反魔術について整理しています。ここでの人文主義的伝統、という言葉を、ペトラルカを嚆矢として、ラテン語の古典を発掘するムーヴメント、という風に定義します。これは14世紀に始まって15世紀まで続き、15世紀に入ってからのギリシャ語再評価の礎を作ります。イェイツはルネサンスの文芸復興運動を、ラテン語編とギリシャ語編でふたつに分けて考えているのです。


このふたつのムーヴメントは性格からしても違います。ラテン語文献の人文主義者は、年代学にも正確でしたし、文献にも忠実、ペトラルカはすでに高度な文献学的マナーを身につけた人物でした。フィチーノが古代神学のテキストを鵜呑みにしていたのとは、えらい違いです。このふたつはその関心領域も違っている、とイェイツは言います。ラテン語のほうは文学や歴史を主に取り扱い、レトリックや優れた文学に重きを置きました。ギリシャ語のほうは哲学や神学、その他の科学に関心があったようです。前者は中世という時代を、優れたラテン文化が凋落した野蛮な時代と見なしますが、後者は中世を尊敬すべきプラトン主義者がいた時代と考えます。後者は前者を「文法ばっかり勉強しているペダンティックなやつら」と軽んじていたそうですが、その一方で、前者は後者のなかの魔術師たちを強く非難しています。


ですが、人文主義者たちがまったく持って魔術師たちと違う、というわけではありませんでした。もちろんごく僅かではありますが人文主義者たちもエジプト学の影響を受けていたりするのです。その一例がヒエログリフです。当時、ヒエログリフは隠れた道徳や宗教的意味をもつ象徴、という風に考えられていたそうです。しかし、これは誤った理解である、と後に判明します。そもそも当時のエジプト学者が準拠していた『ヒエログリフィカ』という本も出どころが怪しく、古代ではなくヘレニズム期に書かれたものだったんだとか。高度な文献学の伝統を持っていた人文主義者もこれには騙され(?)てしまい、エジプトの聖なる秘密の文字としてヒエログリフ人文主義者たちの界隈にも浸透します。


人文主義者の神学的態度の代表例としてイェイツはエラスムスを挙げています。彼は熱心なラテン文化信奉者とでも言うべき熱心さで、ラテン語教育を提唱します。いわく、人々が正しくラテン語を修めればラテン語が国際語となり、黄金時代がやってくるだろう、さらに古典をしっかりと勉強した人間に溢れた国際社会は敬虔なキリスト教社会になるだろう、と彼は考えたようです。このラテン語万歳な態度とは反対に、中世の乱れたラテン語や、魔術に対しては厳しい態度を取り続けています。古代神学なんて時間の無駄、魔術は堕落である、と彼は考えます。しかし、エラスムスヒエログリフだけは有用なものとして考えていました。彼はヒエログリフをすべての人々が理解できる視覚言語として捉えたのですね。


とはいえ、反魔術的なものがそれによって認められたわけではなく、エラスムスが提唱した人文主義のムーヴメントは、イングランドにおける宗教改革によって勢いを増します。偶像崇拝的だと見なされた図像が打ち壊され、修道院や大学の図書館からその手の書物が一掃されることとなりました。ジョルダーノ・ブルーノはイングランドに渡ったとき、オックスフォードの「衒学者たち」と論争をしています。その文化的に背景とはこうした激しい反魔術的な人文主義が存在していたのです。


といったところで、今回はおしまいです。おつかれさまでした。