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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

メッセージ・イン・ア・ボトル

 以下は「2ちゃんねる創作文芸板競作祭 2010年冬祭り」のために書いた短編小説です。このイベントにはゲスト審査委員として招聘されていたのですが、あまりに質の悪い小説を10本ほど読まされたところでキレてしまい「こんなのなら俺でも優勝できるわい!」と思い、書き上げました。一方では「上手い!」と賞賛され、一方では「ゴミ!」と非難され、作者としても「俺は上手いのか、下手なのかよくわからんな」と微妙な気持ちになる評価を獲得しましたが、しかし、審査員は作品を提出しないという規定を確信犯的に違反したため「実は、書いたのは私です」と告白したところで失格となりました。今回は、作者解題をつけてここに転載します。

メッセージ・イン・ア・ボトル


 冷たいアスファルトのうえを改造二輪車にまたがって疾走していく若者たちは、ひとりひとりがなにかに飢えていて、その欠乏感を埋めるためにスピードを求めているようだった。薄く雪が降り積もった滑りやすい路面をものともせず、彼らは雪上にいく筋ものタイヤ痕を作り、執拗な蛇行運転によってそれらを交差させ、複雑な模様を描いた。
 F県警の暴走族対策チームのリーダー、大内山幹二はその模様が親の愛情が不足していたせいで非行に走ってしまった悲しい若者たちが、我々大人世代に向けて放った孤独のメッセージなのではないか、とあるとき思った。大内山はそれを実証するために、暴走族の少年たちが通過したあとの道を何時間も歩いて追跡したことがある。彼は白バイ警官だけに支給される厚手の革ジャンパーのなかにいくつものカイロを仕込み、自分が若者たちの秘密を追う者だと信じて歩いたが、一向に手がかりがなく、自分から思い込んだだけの妄想に騙された、と憤った。違う、俺は真実を発見していたはずだったのに、アイツらが俺を騙したのだ。あのうるさい、近所迷惑なガキどもめ!
 2日後、大内山はF県警の本部長に「初日の出暴走大取り締まりプロジェクト」の発案書を提出する。大晦日まですでに2週間をきり、その時点で大規模な取り組み案が提出されるのは異例のことだったが、本部長は大内山の血走った目に恐怖を覚え、特例で大内山の発案を採用した。
 その日から大内山とF県内の暴走族との死闘が始まった。彼の目的は、初日の出暴走の取り締まりだけでなく、暴走族の撲滅にあった。彼らさえいなくなれば、俺はあの秘密のメッセージを解読することができるのだ。いつのまにか彼の頭のなかでは暴走族の少年たちが作る雪上のタイヤ痕が、宇宙からの秘密のメッセージ「を」隠している、という風に書き換えられていた。少年たちは彼にそれを解読させないために本来のメッセージを上書くための暴走行為を繰り返している。陰謀の構図が大内山の脳裏で蠢いていた。


 一方その頃、F県内の小中高校生たちは異変に動揺していた。ある日を境に『週刊少年マガジン』が店舗に並ばなくなったのだ。県内のどのコンビニでも、どの書店でも、上戸彩石原さとみの笑顔や、板野友美の八重歯が水曜日の朝の憂鬱を癒すことはもはやなくなってしまった。「『週マガ』はどこだ!」。少年たちのなかで、とびきり威勢の良いものたちのなかには、婦人用自転車のハンドルをアメリカン・タイプのパイクのような急角度になるよう万力で変形させた自転車を駆り、県内の雑誌取り扱い店舗をくまなく巡ろうとする者もいた。彼らは一部では「巡礼者たち」と渾名されたが、癒されない水曜日の憂鬱は、まるで償わなくてはならない罪のように彼らの背中に圧し掛かっていたのだから、あながちその喩えが間違っていたわけではなかった。
 その混乱ぶりに狂喜していたのは横山月子だった。彼女は、油がはねにくい天ぷら鍋や、ストローにもなるちくわなどのアイデア商品を『王様のアイデア』と協力して開発することで多額の収入を得ているカリスマ主婦として有名な存在だった。彼女には県庁の土木課に務める夫、慎太郎がいたが、横山家の家計は主に月子の収入によってまかなわれていた。その経済バランスは夫と妻のあいだのパワー・バランスと見事に連動していた。とはいえ、ふたりの間に何か問題があったわけではない。問題があったのはふたりの間に生まれたこども、直哉だった。直哉は、この同い歳の夫婦が27歳で結婚し、30歳のときに生まれた。月子がアイデア商品でブレイクするのがその10年後。もともと貧しい家庭ではなかったが、その成功があって生活は一変した。
 一家は金遣いが急に荒くなった。年に三度の海外旅行、車検の度に乗り換える高級外車(県知事よりも良い車で通勤してる県庁職員など慎太郎だけだった)、総工費三億円の豪邸(もちろん月子が考案したアイデア・グッズ、アイデア家具が満載のアイデア豪邸だった)。月子は直哉に求められるものならば、なんでも与えた。ワシントン条約で輸入が禁止されている東南アジアの猿、中村名人とアレックス・ガルシアが特別にサインしてくれたハイパー・ヨーヨー……。
 誰もがうらやむ生活かもしれない。しかし、そうした変化が生み出したのは幸福ばかりではなかった。月子の溺愛と家庭生活環境の激変は、直哉の性格に良い影響を与えなかったのだ、と直哉が通っていた中学校のスクール・カウンセラーは語る――普通、人間は幼少期から少年期へと変化する過程で「自分は全能な人間ではない」ということを悟ります。幼少期は誰もが自分のことを褒めそやし、自分に注目してくれ、自分の願いを聞いてくれる。しかし、少年期に入るとそのような全能感は喪失されます。自分は全能な人間ではない、普通の人間だ、と気付くのです。しかし、直哉くんの場合は家庭の変化のせいでその全能感が延長されてしまった。言うなれば、彼は、中2病より性質の悪い、エンドレスな小2病にかかってしまったのです。この症例は病理学的にはE2GESS(Endless 2nd Grade of Elementary School Syndrome)と呼ばれており、直哉くんの例が日本で確認された2例目です――先生、単刀直入にいうと直哉くんはどうなったのでしょう?――え、まあ、グレちゃったんですよ(笑)
 溺愛は月子を盲目にもした。彼女が自分の息子の様子がおかしいことに気が付いた頃には、直哉はほとんど家にも帰らなくなり、母親から買い与えられたカワサキ製のバイクで夜のF県内を走り回るようになっていた。母親は自分の息子が免許をもっていないことにも気が付かなかった。彼は東京生まれでも、HIP HOP育ちでもなかったが、悪そなヤツは大体友達であり、カバンなら置き放っしてきた高校に……といった具合で16歳のときに失踪した。直哉が失踪してから数週間後に、彼のこどもを妊娠していると主張する17歳の女子高生が養育費を請求しに月子の元を訊ねてきた。「直哉のこどもだもん、ワタシ、絶対生む!」。玄関口でそう凄む茶髪の女子高生の姿に、月子は激昂した。彼女は自身で考案したマジック・ドアーに仕込まれた48の機能のひとつ、セールスマン撃退機能を発動させた。するとドアーに備え付けられたのぞき穴から、高出力のレーザー光線が発射され、女子高生のむき出しになった太ももに400度の高温で「か・え・れ」と焼き文字を描いた。そのゴシック体の正確さが『王様のアイデア』開発チームの技術力の高さを物語るかのようだった。
 その日から月子はあらゆる不良的形象に対して憎悪をいだくようになった。そして、月子はインターネットを通じて県内の同じような思いを抱いた親たちを集い「KKK(カワイイ・コドモノ・カイ)」を結社する。あらゆる不良的形象からこどもたちを守ること。これがこの秘密結社の中心原理だった。KKKの活動はすべて匿名によっておこなわれたが(実際に顔をあわせておこなう集会には、三角頭巾と白衣、保護メガネに立体マスクといういでたちで出席することが義務付けられ匿名性は守られた)、月子はありあまる財力をつぎ込んで結社の活動を活発化させていった。その甲斐あって、そのポリシーは驚くべき速さでF県内の各学校のPTAにも浸透した。
 ポリシーへと共鳴する良心的父兄は、不良的形象の抑え込みを平和的圧力によって実施した。なかでも効果的に思われたのは、不良的形象を促す店などを買収し、学習塾へと姿を変えさせる作戦だった。F市内にある短ランやボンタン、裏ボタンなどを販売する洋品店は買収され、学習塾へと姿を変えた。下校途中の高校生に店の前でカップラーメンをすすることを許していたセブンイレブンも、学習塾へと姿を変えた。KKKの作戦は巧妙だった。特殊工作員ならぬ特殊工作父兄たちは『愛の貧乏脱出大作戦』のスタッフを偽り「洋品店で頑張るより、学習塾のほうが儲かりますよ」などと薦めてまわったのだ。
 KKKが『週マガ』を買い占めたのも平和的圧力の一環だった。KKKのポリシーからすれば、漫画全般が良いものとはみなされていなかったが、数ある少年誌のなかでも体育会系不良マンガが根強く連載が残っていた『週マガ』はA級戦犯扱いだった。「1990年から1999年まで『カメレオン』が連載されていたのははっきり言って異常。当時でさえヤンキーは絶滅危惧種だったのに、一体誰に向けて書かれたマンガだったのか」。「21世紀に入っても剃り込みリーゼントの少年の絵が読めるのは『週マガ』だけ」。KKKの定例集会ではこうした意見が飛びかった。「悪影響を与えるものはすべて我々の敵です。正義の名の下に『週マガ』は抑え込まれなければなりません!」立体マスク越しに月子がおこなった演説は、9.11事件以降のジョージ・W・ブッシュを想起させるものがあり、KKKに賛同する父兄を感動させた。『週マガ』買い占め作戦はこのような経緯で実行に移された。
 少年たちに読まれることもなく買い集められた『週マガ』はF市内のはずれにあった廃工場に保管され、そしてXデイにすべて焼却される予定だった。焼却の予定日は、月子の一存により12月25日と決定された。奇しくもそれは神の嬰児たるイエスが馬小屋で産み落とされた日だったが、月子にとっては愛息であった直哉が失踪した日だった。次の12月25日には、直哉が家に戻らなくなってちょうど3年になる。燃えさかる『週マガ』の火が、どこにいるとも知れない息子の目に届くだろうか。月子は度々そのような夢想した。粗雑な紙に染み込んだインクの油分が、夜空を焦がすほどの炎を起こすだろう。それは月子の歪んだ愛の象徴でもあり、憎しみの証でもあった。


「俺が県道387号が好きなのは、あの道が国道4号と13号を繋いでいるからだ。4と13。4は「死」を連想させ、13は不吉な数字だ。俺たち、はみ出しものにはお似合いな数字だろ? おまけにあの道沿いには北署がある。ポリ公を挑発するにも、もってこいってわけだ」
 横山直哉の舎弟格だった堤ネギ介は、直哉がこう語っていたことを記憶している。F県内北部に勢力を誇っていた暴走族「狂龍時代」の集会が終わったあと、ガストでデミグラス・ソースがかかったハンバーグを食べながら直哉は言った。
「なあ、俺と一緒に《スピードの向こう側》を目指そうぜ」
 直哉は若干16歳にして狂龍時代の第23代総長となっていた。ネギ介は、直哉のカリスマ性に心酔していた。直哉が目の前にぶらつかせるハンパーグの欠片を刺したフォークは、ネギ介にとって魔法の杖も同然だった。ネギ介は気の抜けたコーラに突っ込んだストローから口を放し、返事をした。
「うっす! 一生ついて行くっす!」
 ネギ介の声が深夜のガストにこだました。
 しかし、直哉はほどなくしてネギ介の前から姿を消す。彼の失踪の理由は、ヤクザの娘を妊娠させたからだ、とか、強盗に失敗したからだ、とか様々に噂された。だが、誰も本当のことを知らなかった。ネギ介もまた知らない人間のひとりだった。直哉がとった行動に、彼は裏切られたような思いを感じた。カリスマ総長を失った狂龍時代は、その頃から組織力にかげりを見せ始めていた。後釜の第24代総長は、体がデカいだけのごく普通の男で、直哉のような欲しいものはなんでも手のうちにある貴族的な雰囲気は望めるはずがなかった。
 危機感を覚えたネギ介はそれから必死でツッパった。誰よりも速くバイクを走らせ、誰よりも危険な角度でコーナーを曲がり、誰よりも多くのケンカをした。そして、2年後、ネギ介は狂龍時代の第25代総長の座を手に入れる。彼の不良的努力により、組織も以前のまとまりを取り戻そうとしていた。だが、ネギ介は直哉の不在が気にし続けていた。組織が完全な状態を取り戻すには、直哉という最後の1ピースが不可欠だった。
 しかも、ネギ介に向かって吹く風は逆風だった。直哉が失踪を遂げて3年の歳月が過ぎようとしていたころ、F県警は「初日の出暴走大取り締まりプロジェクト」を実施していた。初日の出暴走は、暴走族にとって毎年の成人式に行われる引退式(暴走族の定年は20歳だった)の次に重要なイベントである。年末の暴走族メンバーは初日の出暴走の準備とリハーサルを兼ねた暴走で忙しかった。ニュース中継や、道端で応援してくださっているOBの方々に恥ずかしい姿を見せることはできない。メンバーのなかにはタコ踊りの練習のし過ぎで、股関節を亜脱臼する者さえいた。しかし、こうした特殊な情熱に燃える少年たちを、大内山幹二率いるF県警暴走族対策チームのメンバーは次々に検挙・補導していった。
 もちろん、それまでF県警が初日の出暴走を黙認していたわけではなかった。例年「初日の出暴走取り締まりキャンペーン」が実施され、県警の交通課と協力した対策チームは、県内各地にバリケードと検問を設置したり、白バイ警官のパトロール回数を増やしたりして、無謀な若者たちを取り締まろうとしていた。だが、暴走族たちは機動力において県警を圧倒していた。検問のネットワークの目は粗く、進路を変えてしまえば、引っかかる者はいない。また、路面凍結の恐れがあるこの季節の夜に、激しく暴走族を追跡できるだけの勇気がある白バイ警官の数はそう多くはなかった。
 「初日の出暴走大取り締まりプロジェクト」の規模は「初日の出暴走取り締まりキャンペーン」とは比べものにならなかった。検問のネットワークは組織的に考察され、それぞれ3チームずつの検問ユニットが県内各所に配置され、それらが流動的に移動しながら取り締まるべき相手を検問網のなかに誘い込む作戦が取られた。ハンブラビ作戦と名付けられたこの作戦は「F県警の諸葛亮」こと、前田やすしが『機動戦士Zガンダム』を見ていた際に思いついたものだった。作戦が絶大な効果を発揮したことを聞いた前田は、かのヤザン・ゲーブルのように高らかに笑ったという。
 検挙・補導された少年たちは、長く伸ばしていた襟足や金床状に変形したリーゼントをその場で刈り落とされ、二度と暴走行為に参加しない旨を示す宣誓書に署名をさせられると、去勢された競走馬のように大人しくなった。押収された改造二輪車は溶解処理にかけられて、金管楽器として生まれ変わり、全世界の恵まれないこどもたちへと寄付される予定だった。サウスブロンクスの街角で、ショー・ウィンドウに飾られたトランペットを物欲しげに眺める黒人少年のもとにも、改造二輪車から作られたトランペットが届けられるかもしれない。
 大人しくなった元暴走少年たちは、この美談に感激すると、自分たちがこれまで暴走行為に費やしてきた時間がまるで無駄な時間だったと思うようになり、失われた時を取り戻そうと勉学に打ち込み始めた。もはや街でかつての仲間たちとすれ違おうとも知らない人のように振る舞い、両親が捨てずにとっておいてくれた学習机に座って二次方程式の勉強をしているあいだに爆音マフラーの放った咆哮が聞こえれば、それがこのうえなく煩わしい騒音だと感じるようになっていた。かつて、自分が同じようにそのノイズを放つものであったにも関わらず。
 元より絶滅危惧種であった暴走少年たちは「初日の出暴走大取り締まりプロジェクト」によって、2/5まで数を減らした。小規模な組織は自然消滅し、代々受け継がれてきた特攻服も燃えるゴミとして焼却された。ネギ介率いる狂龍時代も例外ではなく、持ち直してきたはずの勢いも奪われ、ほとんど瀕死状態といっても良かった。この苦境に際し、ネギ介はメンバーたちの心裏に一層、直哉――かつてのカリスマ――の帰還を望む声が浮かぶのを感じていた。しかし、ネギ介はそれをあえて指摘しなかった。なぜなら、もっとも直哉の帰還を望んでいた者は、自分自身だったからだ。その希望を押し殺して、ネギ介は発破をかけた。
「俺たちのメンツにかけて、初日の出暴走は成功させる! 俺たちは負けない!」


 そして12月24日。その日、ネギ介は直哉が愛した県道387号に、タイヤ痕による記号的メッセージが残されていた、という報告を狂龍時代の生き残りメンバーから受けた。それはどうやら直哉のものに見えた、ということだったらしい。暴走族の少年たちがこうしてタイヤ痕でメッセージを交わしている事実は、一般的にはあまり知られていない。その記号体系は暴走族の組織でそれぞれ異なっており、その多彩さはアンゴラ共和国の諸部族が用いるバントゥー諸語のようにバラバラだった。暴走族のなかにはそうしたタイヤ痕によって、もっとも美しくメッセージを残した者がリーダー権を得る風習を持つものもあったという。報告を受けたネギ介はすぐさま、県道387号へと向かった。そして国道13号と4号をつなぐ約1.5キロメートルのその区間で、ネギ介はメッセージを確認した。「ソロモンヨ、ワタシハ、カエッテキタ」。アスファルトにはっきりと残った合成ゴムの足跡は、そう伝えていた。そのタイヤ痕の太さと、蛇行の軌跡からから言って、それが直哉の愛車であったカワサキ Z1000J2のものに間違いなかった。
 ネギ介は喜びを隠せなかった。彼はヤマハ GTS1000/Aのエンジンを激しく吹かし、その感情を表現しようとした。ネギ介はその間にも幾通かメールを受け取っていた。それらはすべて直哉の目撃情報だった。F県北部各地で、直哉のZ1000J2の姿が目撃されていた。都市伝説のように、ニホンオオカミの目撃情報のように、直哉の帰還は伝えられていった。ネギ介はその情報を頼りに直哉を探した。ネギ介は直哉に導いて欲しかった。この苦境を自分がどう乗り越えれば良いのか。その思いは狂龍時代のメンバー全員に共有されていた。
 時間は淡々と過ぎていき、ネギ介が直哉からのメッセージを受け取ってから半日が経とうとしていた。すでに日は暮れており、空気は厳しく冷えていった。暴走族のメンバーには、コートやジャンパーなどを着ることが許されていなかった。サラシを巻いて、特攻服を羽織る。ユニクロヒートテック特攻服を開発していたならば、彼らもまだ救われたかもしれないが、あいにくそんなものは存在していなかった。その防寒要素ゼロの伝統的スタイルで凍てつく空気を切るように走ることが「気合が入った走り」として賞賛されていた。狂龍時代のメンバーもまた、気合が入った走りで直哉を捜索した。
 だが、その間もハンブラビ作戦は粛々と遂行されていたのだった。ネギ介は直哉の捜索に気をとられるあまり、自分たちがこの包囲網のなかに入っていることになかなか気がつけなかった。彼が、県警の追い込みに気がついた頃には、網のなかの領域はかなり狭くなっており、どの裏道を通っても逃げられそうにない、といった絶望的な状況に陥っていた。F市内のはずれにあるJA-SSで彼らは止まり、給油を兼ねた作戦会議をとったが、ネギ介は何の打開案も思いつけなかった。「俺らも、もう終わりか……」。生き残ったメンバーのなかには、そうつぶやいて涙ぐむものさえいた。ネギ介を含めて、彼らはわずか12人の組織に成り下がっていた。この場所に長いあいだ立ち止まるのも危険だったが(建物のなかで怪訝そうにこちらを疑うスタンド店員が、いつ彼らのことを通報してもおかしくなかった)、彼らにはどうすることもできなかった。
 そのとき、ネギ介は聞き覚えのある音が遠くで鳴っているのに気がついた。音はネギ介たちがいる方向に向かってきていた。直哉のZ1000J2の走行音だ。ネギ介はすでに確信していた。残された12人は、顔を見合わせた。そして彼らは、かすかな希望が沸きあがるのをお互いの表情に認め合った。


 そして、彼らは再会する。「直哉さん!」「来てくれるって信じてました!」12人は直哉を取り囲み、約3年ぶりに会うかつてのリーダーに声をかけた。流れた時間は、彼の表情にさまざまな経験を刻み、未成年者を超越した威厳をもたらしたかのようだった。だが、この再会に一番驚いていたのは直哉自身だった。彼は、かつて自分が指揮していたチームの苦境をまったく知らず、彼らを助けようと駆けつけたわけではなかったのだ。
「あれをみてみろよ」
 直哉はそう言って西の空を指差した。「あれはたしか、廃工場があった方向だろ? あれが気になって走ってきたら、お前らを見つけたんだ」。直哉が指差す方向では、夜空が真紅に染まっていた。何かが激しく燃えているに違いなかったが、どういうわけか消防車のサイレンは聞こえなかった。「お前らも、一緒に来ないか?」。12人のメンバーたちは、かつてのような状況であれば、声をそろえてその誘いに賛同しただろう。しかし、今は何もかもが違っていた。ネギ介が直哉に現状を伝えた。
 しばらく直哉は目を瞑り、なにかを考えている様子だった。沈黙が12人を包んだ。再び直哉が目を開くと静かに「行くぞ」とだけ言った。「どこに?」。ネギ介が訊ねた。
「ヨタヨタのポリ公どもになめられてたまるかよ! 俺達ァ健康優良不良少年だぜ!」
 金田……じゃなかった、直哉は沸騰したような勢いでそう叫び、次の瞬間にはアクセルを全開にして走り出していた。12人は慌ててその後を追った。かつてカリスマとして崇めたその男が事態をどう打開するのか、誰も分からなかったが彼らにはついていくしか術がなかった。13人になったその暴走集団は、包囲網のなかをひたすらに回遊した。直哉を先頭にして美しいラインを作り、極限の速度でコーナーを攻めた。その度に彼らの脳内にエンドルフィンが沸いた。《ワカルカ、コレガ、すぴーどノムコウガワダ》。先頭にいる直哉は、ウィンカーを点滅させて、後続に合図を送った。興奮と熱狂が彼らを襲った。3年の放浪は、直哉に《スピードの向こう側》に人を導くための修行の旅だった。未体験ゾーンに突入したネギ介は、わけも分からずに雄たけびをあげた。URYYYYYYYYYーッ。
 いつの間にか雪が降り始めていた。白い雪の結晶がライトの光で反射しているのが直哉たちの目に映った。直哉たちは何度も検問所の前で、方向を変え、その度に捕まるのを逃れた。とっくに彼らはハンブラビ作戦の包囲網が対応できる速度を超えていた。検問部隊は彼らを追うことに疲れ、そして、その疲れが判断ミスや通信の混乱を招いた。気がつくと同じ箇所に2つのチームが検問の用意をはじめるなどしていた。こうしてできた包囲網の穴をつき、直哉たちは脱出した。
 その晩、大内山幹二は直々に取り締まりへと参加していた。彼は、直哉たちをほとんど目の前で取り逃した失態に憤激し、激情の最中、脳梗塞を発症した。


 様々な太さのタイヤ痕が、直哉たちが走り回った記録としてアスファルトに残っていたが、夜が明けるまで振り続けた雪がうっすらと降り積もって、それを覆い隠していた。日が昇って、陽の光が白いベールを照らすと、正午頃には直哉たちの記録が再び露になった。タイヤ痕は広い範囲に渡っており、それは地球観測衛星からも確認できるほどの規模だった。この日、日本の地球観測衛星「だいち」がF県北部を撮影した際、燃えさかる炎と、通常よりも黒く染まった道路の一部の画像を記録していた。目を凝らすとその様子は、街の航空写真にいくつかの模様が描かれたもののようにも見えた。しかし、その変化に気づくものは誰もいなかった――もし、その画像を目にした者がシャルル・フーリエが提唱した共同社会ファランジュで用いられる普遍言語の記号体系を知っていたならば、そのメッセージを読み解けただろう。それはマヤ文明の神話が告げるとおり、我々の世界が2012年に終幕を迎えることを伝えてくれるものだった。我々に残された時間は、あと僅かだ。それまでに私は、何冊の本を読み、何を食べ、何度のセックスするだろうか。人間が生涯にとる食事の回数の平均はおよそ3万回だと言うが、まだその半分も経験せずに歴史の終焉を迎えなければならないことに私は絶望に近いものを覚える。諸君、最後の瞬間に悔いることがないよう、精一杯生きようではないか!


改題
 この作品のタイトルはポップスが好きな方ならお分かりのとおりポリスのヒット曲「孤独のメッセージ」の原題から取られています(本文ないにも最初のほうにでてきますね)。これは内容と関係がないわけではありません。むしろ、内容と強く結びつけて読むことができる。この作品に登場する様々なバカ描写(タイヤ痕や、『週マガ』を集めて火をつけたときの炎、あるいは最後のシャルル・フーリエがどうとか言うアレ)、これらはすべて何らかの意味を伝えるメッセージとして用いられている。


 だが、そうした作中の試みは他者には伝わっていかない(伝わるのは、仲間内に限定される)。その伝わらなさを、瓶につめられて海を漂うボトルのアナロジーを通じて表現したかった。だから、このタイトルは不可欠でした。それは孤独な態度に違いありません(あの邦題の上手さが光る!)。


 しかし、こうした作者の意図はまったく伝わっていないでしょう。サブカルチャーに寄りかかった単なるバカ小説という風にしか読めない。でも、そうした意図が伝わらないこともまたひとつの成功だと考えています。根本的に表現っていうのは意味が伝達されないのが普通なのであって、伝達されることのほうが奇跡だと私は考えます(言語は伝わるものでしょう、と盲信されている方はヴィトゲンシュタインをお読みください)。今回はその伝わらなさをテーマにしているので、意図が読まれなかった(というか普通には読まれないように書いているのですが)ことは作品のテーマにも沿っている、と。


 さて、ここまで読んで「コイツ、こんなこと本気で言ってるのか? 頭おかしいんじゃないか?」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、以上の解題を私が本気でいっているかどうかを私以外の他者には検証することができません。「本気にきまってるじゃないですか!」と答える裏側で「そんなわけねーだろ!」と思っているかもしれない。これもコミュニケーションの不完全さを表すものですが、これでせいぜい居心地の悪い思いをしただければ、作者としては大満足でございます。