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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#9 ビオイ=カサーレス『日向で眠れ』『豚の戦記』

 すこし間があいてしまいましたが「ラテンアメリカの文学」シリーズ全巻読破を忘れたわけではございません。9巻に収録されているのはアドルフォ・ビオイ=カサーレス(1914-1999)の中篇を2つ『日向で眠れ』、『豚の戦記』。このアルゼンチンの作家については、ボルヘスの共作者としての面が知られており、この本が刊行された1983年時点での邦訳はこれと、ボルヘスとの共作である『ブストス=ドメックのクロニクル』のみだったようです。それから邦訳の刊行はゆっくりと進んでいるようですが「もっと広く、もっとスピーディーに紹介されてほしい」「他の作品を読んでみたい」という気持ちを抱かせる素晴らしい小説でした。


 2つの作品を読んで、乱暴な分類をしておくとビオイ=カサーレスは「非マジックリアリズム系」の作家のように思われます。幻想的あるいは悪夢的な情景は彼の小説世界では描かれない。文体は端正で、無駄がなく、ボルヘスとは正反対のところに位置づけられそうな「正統派リアリズム系」のもの。ビオイ=カサーレスの世界とはあくまで我々の日常と地続きなもののように感じられます。主人公たちもかなり「凡庸な男」といった風情がある。しかし、彼の世界にはどこか穴が隠されていて、読み手はいつのまにかその穴に吸い込まれてしまうのです。この読者がいる世界を移動させるようなテクニックがとても巧みだと思いました。


 『日向で眠れ』は、主人公ボルデナーベが古い友人に出した書簡、という形式ではじまります。ボルデナーベは、銀行に勤めていたのですがスト活動にいやいやながら参加したおかげで職を失い、路地裏で時計の修理工を営むようになった不運な男。彼の不運は、それだけではなく底意地の悪い親戚の老婆が下女として家に寝泊まりしているうえに、奥さんは少々頭がおかしい、ときている。この奥さん、美人で料理は上手なんですが鉄格子がついている病院に2度も入院したことがある、といういわくつきなうえ、義父や義姉も性格にかなり問題があったりと散々です。奥さんの病気がよくなるわけがないし、ボルデナーベも精神的にかなり参ってきている。


 彼の精神が限界に達したとき、奥さんは再度入院とあいなります。この奥さん不在のあいだに、また義父にキレられたり、義姉(美人な妹に嫉妬しつづけていた未亡人!)に言い寄られたりとろくな目にあわない。奥さんの不在のあいだに安らぐはずであったボルデナーベの精神は再度不安定になっていきます。またもや彼の精神が限界に達したとき(このときのキワキワな描写が怖い!)奥さんは無事もどってきます。これで一件落着かと思いきや……「あまりにも『病気』がよく治りすぎている。まるで別人のようだ。っていうか別人なんじゃないの?」という疑いがではじめる。妻はどんな治療を受けたのか……? 物語の最後には、その恐るべき治療の全貌が明らかにされ……というサスペンスっぽい小説でした。


 個人的には2本目に収録されている『豚の戦記』のほうが好みです。こちらも主人公はイシドーロ・ビダルという平凡なオッサンです。妻が息子を残して蒸発した、という悲しい過去を持ちながらも、年金をあてにしつつ、若い頃からの友人たちとカード遊びをして穏やかに暮らしていた彼でしたが、アルゼンチン国内で若者が無差別に老人を殺害する、という事件が連続して彼を取り巻く環境は一変します。この老人の無差別殺害事件は次第に組織的暴力に変容し、老人は若者たちから「豚」と呼ばれて、暴力に怯えながら暮らす羽目に陥ります。エネルギーと衝動で突き進む若者を前に、老人たちは隠れ、逃げ惑うしかない。


 そのような最中、ビダルの友人たちは毅然として立ち向かう……のではなく、人間の汚い部分を存分に発揮しながら、逃げ惑いまくる、というのが良かったです。もともとビダルの友人たちへ影を落としていた「老いの醜さ」は、異常な状況下でオーバードライブされ、より一層、醜悪なものとして描写されます。色欲、利己欲、食欲……さまざまな悪徳が老人たちから噴出する。このあたりにビオイ=カサーレスの上手さがあるように思いました。当初、そんな友人たちを軽蔑するビダルでしたが、彼もその例に漏れない。ビダルの場合、彼のもとに訪れたある幸福に強い執着をみせます。そこで彼は「これに執着すれば、老いの醜悪さに感染してしまう。友人たちと同じになってしまう」と自問する。さまざまな大きな代償を払いながら、異常事態が日常へと収束していく物語の進行も素晴らしかったです。