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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

イエイツの『記憶術』を読む #7

記憶術
記憶術
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フランセス・A. イエイツ
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第九章 ジョルダーノ・ブルーノ――『影』の秘術
 ここからがジョルダーノ・ブルーノのお話。彼についてなにも知らない、という方はそもそもこのコーナーを読んでいないかと思うのですが、一応参考としてWikipediaへのリンクを(信用性はよくわかりませんが、けっこう詳しく載っています)。

 イエイツのブルーノヘの関心の高さは彼女の最初の本が『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』という作品だったからも明らかです*1。この章からはそのブルーノ愛が全開になっている感じ。前章まででルネサンスのヘルメス的人間のメンタリティを形成する上で、強い影響を与えた思想についての確認が終わっています。ここからはイエイツはその影響下からヘルメス的人間として才能を開花させた最大の人物としてブルーノを取り上げます。まずはブルーノの生い立ちなんかから話がはじまりますけれど、この人ははじめナポリドミニコ修道会で勉強をはじめるんですね。おそらく彼はそこで記憶術を学んだに違いない、とイエイツはしています(ドミニコ修道会には古典的記憶術の伝統がありました)。


 しかし、後年ブルーノは異端の嫌疑をかけられてナポリを離れざるを得なくなる。ここから彼のヨーロッパ放浪生活がはじまります。イエイツはこの放浪生活のなかで記憶術が、ブルーノのメシの種として役に立ったのではないか? と推測しています。ブルーノは1582年に『イデアの影について』という著作を発表し、これが彼にとって最初の記憶術に関する本となったのですが、これを時のフランス国王アンリ三世に献呈したところ、記憶術の講師として迎え入れられたりしている。ただしその記憶術は、魔術色が強かったんですって。そのカラーは探求につれて色濃くなっていったそうです。ブルーノが異端審問所に捕まってしまったのも、ヴェネツィアにいたジョヴァンニ・モチェニゴという人が「記憶術を教えてちょ」と頼まれて、イタリアに帰国したのがきっかけだそうで。この数奇な運命をイエイツは「ブルーノを生かし、そしてまた死へと至らしめたのは、まさにこの記憶術だったのである」と評しています。


 前述したとおり、ブルーノの記憶術は魔術色が強かった。それはカミッロの記憶術とはまったく色合いが違うものだ、とイエイツは言います。「カミッロは洗練されたヴェネツィアの弁論家であり、記憶術体系を、本質的には隠秘主義的であるにもかかわらず、整然とした新古典主義的な形式に則って述べている」(P.241)。しかしブルーノは「記憶術を内面的秘術へと魔術的に変質させ、それを手にして修道院の中世的精神から飛び出していったことを見てもわかるように、途方もなく野性的、熱狂的であり、抑制がきかない元修道士であった」(同)のです。イエイツは、ときおりカミッロとブルーノを対比させながら、ブルーノの記憶術に影響を与えた魔術的なものを分析しています。そこではトマス・アクィナス(ブルーノはトマスを〈魔術師〉として崇めていたそうです)や、コルネリウス・アグリッパの名前があげられます。また、ブルーノの『イデアの影について』のなかでは、前章で登場したルルの同心円状の図版が使用されている。しかし、ルルの図版では9つに仕切られていた円は、ブルーノになると30に仕切られています。この30という数字は「とりわけ魔術と深い関連性があったらしい」(P.248)。このあたりの記述がとても面白いですね。洗礼者ヨハネには30人の弟子がいた、とか、グノーシス派が30の霊体の存在を主張してた、とか。


 さて、ブルーノの魔術的な記憶術がどういったものだったのか、ここが気になるところでしょう。イエイツはこんな風に解釈しています。

ブルーノの記憶術体系のうちに、われわれは、彼が霊魂のなかで魔術的メカニズムを再現し、それによって魔術=機械観的法則を、外でではなく内で操作せんとする努力を認めることができる。(中略)外の世界を支配する星辰の力は内の世界でも作動し、その力はそこで再現もしくは獲得されて、その結果、魔術=機械観的記憶を動かすことができるようになる。(P.264-265)

 イエイツは(本質的に重要なことではない、としつつも)この魔術的記憶術を一種の「人工知能のようなもの」と喩えています。もう少し噛み砕いて言うと、外的な力(ルネサンス期は宇宙が魔術によって動かされている、という有霊観的宇宙論がありました)を内的に作動させることで、心のなかに「魔術的コンピュータ」を作ることが構想された、ということでしょうか。イエイツのいいぶりからすれば、それはデータベース的でもあり、計算機的なものでもあったようです。そしてこれを駆使することで、現象界の背後に存在する〈一者〉(神的統一体)に近づくことがブルーノの記憶術構想の最大の目的だったといいます。なんかすげぇ話! ですが、この壮大な構想には、中世の記憶術とルネサンスの記憶術の態度の違いが、しっかり刻まれてるのですね。単なる記憶術が、現象界の背景にある叡知に到達するための手段として使われているここに大きな変容があるのです。


 (続く)

*1:高くて買っていませんが、最近邦訳が出ています。『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』