sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)
ルドルフ シュタイナー
筑摩書房
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 一般的には(?)「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーの神智学・神秘学関連の本がちくま学芸文庫から色々出ています。こんなものその手の話が好きな人(マジな人)か、物好きしか読まないと思うのですが、物好きなので一冊読んでみました。今、アマゾンのレビューをみてみたらあまりの絶賛ぶりに背筋がちょっぴり寒くなってしまいました。おそらくこちらはマジな人によるレビューなのでしょう。とはいえ、その絶賛ぶりは読み終えた後だとおかしくないように思えてくるのだから、シュタイナーという人は大変な人物だったのだなぁ、と思いました。面白かったです。


 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』。はっきり言ってタイトルからしてものすごいのですが、本の内容はそのタイトルのとおり「超感覚的世界の認識をどうすれば得られるのか」という一種のハウツー本です。シュタイナー曰く「どんな人間の中にも、感覚的世界を超えて、より高次の諸世界にまで認識を拡げることのできる能力がまどろんでいる」とのことですので、大変門戸が広いですね。しかも忙しい人は修行は毎日5分だけでも充分! 毎日5分の修行を続ければ、霊眼が開き、エーテル体(生命から出ているオーラみたいなもの)が見えるようになったり、アストラル体(魂を形成しているサムシング)を認識でき、魂によって動物の言葉を聞くことができるようになる! というのだからもう笑いがとまりません。すごい、すごすぎる! あと大事なのは愛ね! 批判的な認識力を殺し、愛を持ってすべての物事に接することによって、内的平静が生まれ、それもまた超感覚的世界の認識に役立ちます。まるでマイケル・ジャクソンみたいじゃないか! 怒ってないんだ、愛なんだ、L・O・V・E。


 ……とキャンプな見方で面白かったポイントを紹介するのはここまでにしておきましょう。読みながらすごく笑ったのですが、ちょっとマジメに興味深いなぁ、と思える点がこの本にはいくつもあるのです。まず第一には「きっとこの本ってオウム真理教の教義にも取り入れられてるだろうなぁ」ということ。オウム真理教の教義がさまざまな宗教と科学のキメラのようなものだったことは有名ですが、シュタイナーの影響もかなり大きかったのだろう、と(おそらく偉い人がすでに指摘しているでしょうが)。それはエーテル体、アストラル体といった術語体系からだけではなく、宗教と科学とが対立しない原理からも感じられます。第3版のまえがきでシュタイナーはこのように記しています。

(神秘学には)たとえば現代科学の所説に従う人には到底受け容れられないと思えるような場合がいくらでも出てくる。(しかし)本当に霊学(=神秘学)の立場と矛盾する研究成果は科学の分野においても存在しない。(中略)霊学と真の実証科学との研究成果をよく比較してみるなら、両者の間に存する見事なまでの完全な一致がますます認められるようになってくる。

 はい、すごいことを言っております。この文章が書かれたのは1909年、およそ100年前のものになりますが、オウムだけではない、すべてのカルトに多大な影響を与えていそうな気がしました。しかし、シュタイナーの思想で興味深いのは、修行によって超感覚的な世界を得ることの最終的な目的が、感覚的な世界(日常世界)から解脱することではない、という点です。これはオウムやその他カルトが言うような「我々だけが救われる」だとか「最終的な救済」を得られる、といったものとは一線を画している。


 シュタイナーの世界観は感覚的世界/超感覚的世界という二元論的なものです――それは前者は汚れた世界、後者は清らかな世界という風になっていますから、グノーシス主義的なものと呼んでもさしつかえないでしょう。彼は超感覚的世界へ参入すること(イニシエーション)は素晴らしいことである、と説きます。しかし、修行によってその魂をそのような高次のステージにもっていくことができたとしても、そこに留まることは許されていない。むしろ、解脱しきってしまうことは悪しきことであり、感覚的世界に留まりながら、超感覚的世界との交流を続けることが良いこととされている。


 なぜなら超感覚的世界への参入者には大事な仕事が残っているからです。あなたが超感覚的世界への参入ができたのも、すべて感覚的世界のものごとがあってのことなんだから、感覚的世界の住人を一人でも超感覚的世界につれてきなさい――と参入者は守護霊*1に言われてしまう。だから、参入者は感覚的世界に留まらなくてはならない、とシュタイナーは説明しています。これは大乗仏教的にも、イエズス会宣教師みたいな態度にも思えます。攻撃的ではなく、教育的である。世界観の怪しさと、このあたりのバランスが面白いです。ますます興味が出てきたので、違う本も読んでみたいと思いました。

*1:霊眼が開いていくと、いろんな種類の守護霊が見えるようになる