sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

カニをポケットに入れて、街へ出よう

TS3I0075
 日本の近海でカニがとれなくなって久しい。かつて日本でズワイガニやケガニの水揚量日本一を誇った鳥取の港からは、いまでも漁船が毎朝出港していくが、専用のクレーンで海の底から引き出される専用のカゴのなかには、いつも二、三匹のカニがいるだけで、そのほかはおぞましい姿格好をした深海魚やビニール製のゴミだけが入っているという現状に、漁師たちは日々落胆を続けている。そのおかげで日本の近海モノのカニなどは、もはや庶民の食卓に並ぶようなものではなく、もっぱら永田町の政治家や上海マフィアの特別な会合で彼らの利害関心に満ちた信頼関係を深めるための特別な道具になってしまった。特に上海マフィアは、近年、道具としてのカニを珍重している。


 彼らの世界においては沈黙こそが信頼を示す証跡である。そこでは言葉を用いて交渉することなどは大変無粋なことだと考えられている。観光客向けの違法薬物やニセブランド商品を取り扱う縄張り争いは激化する一方であるが、そのような争いごとの調停はすべて各グループのボスが夕食を共にするときにおこなわれる。そんなとき、カニさえテーブルのうえに乗っていれば、彼らはわずらわしい言葉など介することなく、問題を解消することができる。一方のボスが熱心に殻のなかから身をほぐそうと熱心になり、もう一方のボスは溢れてくるカニのエキスを吸い尽くそうと足にむしゃぶりついている間に生まれる沈黙が、両者の間に信頼を錯覚させるのだ。


 ゴビ砂漠にだけ生息するサソリの一種がズワイガニに似た味がすることを教えてくれたのは、偶然喫茶店で隣の席に座ったキリシタン大名だった。「あんまり食べるところがあるわけじゃないんだけどな。それでも茹でればカニみたいに真っ赤になるし、これはカニだ、カニだ、と思いながら食べれば、結構イケるんだ」と彼は三日前のスポーツ新聞から目を離さずに言った。彼は自分が築いた南蛮貿易のルートを利用して、大量にそのサソリの一種を輸入しようと画策しているところだと言ったが、彼にはそのとき資金が足りなかった。最近有楽町を歩いていたところ「サソリ、入荷しました!」という看板を掲げたお店を見かけた。それが彼のルートから仕入れたサソリだったかどうかはわからない。そのとき、私の脳裏に一瞬浮かんで消えたのは「ああ! ご先祖様が残した埋蔵金かなにかが掘り起こされたらなぁ〜」というキリシタン大名の嘆きだった。


 カニの美徳を数えてみよう。一、カニは愚痴を言わない。一、カニはどんな孤独にも耐えることができる。一、カニは寒さに強い。一、カニは意外にも経理に強いらしい。一、カニヌーヴェルヴァーグが嫌いだ。一、カニは……。