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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

勝間和代十夜

第四夜


 (ある人にとっては熟れ過ぎた果実のように見えるかもしれないが)勝間和代は、この世界において唯一ミネルヴァの化身という呼称に相応しい女である。彼女の顔には暗い森の奥からでも世界を見渡すことのできそうな力強い二つの眼が備わっており、胴体には難攻不落の要塞を守り続ける巨大なトーチカを思わせる豊かな乳房が存在を主張している。
 彼女に面と向った男たちの多くが、彼女とまともに会話をすることができないのも、すなわち、彼女の乳房が男性が持っているはずであり、持っているべき、武器的なファロスを象徴しているからである。男たちは彼女の面前に立つだけで、生まれもっての男性性を奪われてしまうのだ。また、彼らの多くが彼女と目を合わせることすらできない。彼女の深く黒い眼の奥にある智慧が恐ろしいのである。一度、目を合わせてしまったならば、彼らはその深い闇のなかを、終わりのない螺旋階段を下りるようにしていかなくてはならない。それは悔恨を常に胸に抱えながら歩き続ける無限の旅路だ。なにしろ、彼らが勝間和代の叡智を授かる見込みなど、これっぽちも残されてはいないのだから。
 「起きていることはすべて正しい」。勝間和代はそう言った。まるで俗流スピノザ研究者が、かの異端的哲学者の言説を噛み砕いて説明してみせるときのように。しかし、勝間和代俗流スピノザ研究者のあいだには大きな隔たりがある。彼らが神が即ち世界であり、そのほかにありようがない、ということをわざわざスピノザの言葉を借りて説明しなくてはならないとき、その言葉には「かつてスピノザはこう言った」という譲歩が存在する。しかし、勝間和代にはそのような譲歩は存在しない。迷いも疑念も生ずる余地がないのである。
 現代に生きる若者の多くと同様に、わたしも若い頃はよく旅をした。あの頃、どこへいくにでも背負って歩いた登山用のリュックサックのなかにはいつだって勝間和代『断る力』が入っていた。いまではみすぼらしく穴だらけになってクローゼットの奥底にしまわれているだろうそれが、他の思い出の品々とわたしの亡骸とともに棺に入れられ、土のなかで数十年、数百年の沈黙の日々を過ごし始めるときは近いだろう。いうまでもなく、その旅は、わたしにとっての勝間和代を求める旅であった。黄砂が渦を巻く北京で、高山病が呼び起こす吐気と隣り合わせのブエノスアイレスで、生と死が一体になって絶えることなく流れ続けるガンジスのほとりで、わたしは幾人もの勝間和代の変奏に出会った。インドネシア熱帯雨林勝間和代に出会ったとき、わたしの首筋には数匹の黒いヤマビルが這い、その粘液をまとった黒い生き物たちがわたしの血液を啜っていた。
 白い勝間和代、黒い勝間和代、黄色い勝間和代、茶色い勝間和代……。世界には七色の勝間和代が存在した。これは勝間和代永遠を超えて存在することの証明となるかもしれない。しかし、彼女たちはまさしく勝間和代であるがゆえに、逃走する主体でもあった。いかなるときも彼女たちは去っていくのである。たとえ、わたしが自転車に乗っていたとしても、彼女たちを捕まえることなどできなかっただろう。辛うじてわたしにできたこととは、彼女たちの煌く瞳が残した光の燐粉を辿り、旅を続けることだけだった。

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