首吊り師たちについての記録
「首吊り師」と言っても、東北に生まれなかった人びとにとっては耳慣れない言葉にちがいない。これは東北の地に古くから存在する移動芸能集団を指し示す学術的に定義された総称であり、その実際の呼称は地域によって微妙に異なるのだが、私が生まれた福島県北部ではおおよそ「ククラレヤ」だとか「ツラレオトコ」だとか呼ばれていた。彼らについて、古くは米沢藩第9代藩主である上杉鷹山が記した俗話集『山民風説集成』にも興味深い記述があるが、近年進展が目覚しい東北民俗学会で高山宏文(地域風土学者)が報告したところによれば、彼らはいわゆるサンカの亜種だと言う。この高山の新説が発表されるまでは、奥羽山脈を修験所にしていた金剛真言宗薬師派の山伏たちから生まれた「ハグレ」がその起源である、というのが最も信憑性がある説とされてきたが、これらの真偽についてはいまだ論争中である。どちらにせよ首吊り師たちはサンカや山伏たちと同様、定住し耕す土地を持たず、普段はどこか人里離れた人目につかない場所を転々としているのが常である。
里に住む人びとが彼らの姿を目にするのは、一年のあいだで祭の日に限られる。彼らは各地の祭に現れ、彼らの呼称の由来ともなっている芸をして、酒や地方の特産品や現金などを得て暮らしているのだ。ここまで長々と彼らについての記述を行ってきたが、一言で言えば単なる「旅芸人の集団」と説明することができよう。最初からこの一言が出なかったのは一重に筆者の語りたがり、書きたがりな性向によるものである。親愛なる読者諸氏にはこの点をどうかご容赦いただきたい。
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