渚音楽祭・秋2008(東京、2日目)
渚、2日目。昼ごろ会場に行って、ラジャ・ラム、田中フミヤそしてデリック・メイ……と大物だけ観て帰ってきた。ステージの最前列のほうにいたら煙草ではない煙の臭いがどこからか漂ってきて「うわ……すげぇな、私服警官、今日60人入ってるっつー話なのに……度胸あるなぁ」とか思って、あたりを見回したら隣の人。その後も、煙草ではない煙の臭いは始終止まなくて副流煙にあたったらしく、足がフラフラになりながら帰ってきた。とても面白かった。昨日とは打って変わった大盛況ぶりに「昨日の寂しさはなんだったの?」と思いつつ、毎回このイベントで観察するのが楽しみなギャル&ギャル男のファッションに大きな変質が起こっていることが興味深く感じる。去年ぐらいまではファッションピンクのエクステンションをいくつも髪の毛につけた人や、ところどころ真っ白にブリーチした「お前何族の族長だ!」みたいな人がいたのに、今年は全然見当たらなかった。全員が全員EXILEみたいである。私はロック・ミュージックの熱心なオーディエンスでもなく、熱心なクラバーでもなく、自己認識的にはやはりクラシックの観客というのだが、第三者的な視座から見るとやはりロックとクラブ・ミュージックのオーディエンスは本質的に相容れないものなのじゃないか、と思う(これは、先日レディオヘッドの来日公演に行ったときも感じていたことだ)。居心地が良いのは断然後者で、その理由には「多様であることにみんな寛容(無関心)」というものがある気がする。隣でEXILE集団が上半身裸でゲラゲラ笑っていようが、白目になりながら奇怪な動きをする人がいようが、関係なく皆それぞれバラバラに楽しんでいる――モッシュとはまったく違った熱の持ち方をあの集団はしている(モッシュの共産主義国家みたいに画一的な動きはとても息苦しい。あそこに馴染めないとあんまり面白くないまま終わってしまう気がする)。「踊っていると自分は1人なんだなって思う。それを確認するためにクラブにいくのだ」。ある友人がいつかそんなことを言った。この感覚はなんとなく理解できる。鼻の先が振動するぐらいの重低音に包まれながら踊っていると、自分は今誰にも邪魔されずに好きなことをやっている!みたいな感覚に陥ることがある。それは孤独とは違った、とても良い1人のなりかただと思う。
あと、ラジャ・ラム(御歳67歳。ほとんどバケモノ)がAC/DCのサイケ・トランスMIXをかけていたのが一番印象に残った(「Thunderstruck」と「Highway To Hell」)。