sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

シュトックハウゼンとはなんだったか?

1954年→最初の電子音楽《習作I・II》の製作
1956年電子音楽《少年の歌》で、電子音楽とミュージック・コンクレートを結合。さらにトータル・セリエリスムが操作する4つのパラメータ(音価、音量、音程、音色)に「空間」の概念を加えることを提唱。さらにこの年は、《ピアノ曲XI》でヨーロッパで初めて不確定性を音楽に導入した
1957年→《グルッペン》にて、音群作法を提起(音を集合的な塊として操作する方法。これはトーンクラスターと通じている)
1960年→《カレ》にて空間音楽の概念を提起。また電子音、ピアノ、打楽器のための《コンタクテ》は、ライヴ・エレクトロニクスの先駆となる
1964年→《モメンテ》にて瞬間形式を提起
1966年→《テレムジーク》にて「テレムジーク」概念を提起
1968年→《一つの家のための音楽》で「遊歩音楽会」の先駆となる。そしてこの年、《七つの日より》によて「直観音楽」を提唱

 以上は、カールハインツ・シュトックハウゼンの1950〜60年代の主な業績を簡単にとりまとめたものである(佐野光司『直観音楽――神となったシュトックハウゼン』を参考に記述した)。シュトックハウゼンという作曲家を語る人の多くが、語りのポイントをおくのがこの時期の作品だと思う。「シュトックハウゼン電子音楽の人」という認知は広く(?)一般的であろう。こうして年譜を眺めてみると、この時期(20年弱)のシュトックハウゼンの創作意欲には驚かされるばかりだが、逆に言えば直観音楽以降の彼の作品はあまり知られていないし、そこまで注目を浴びてこなかった、ということが言えるのではないだろうか。たとえ、注目を浴びたとしても「ヘリコプター+弦楽四重奏」や「上演時間29時間」といった作品の規模の「大きさ」や「突拍子もなさ」についてだけであったように思う――大きな転回点となったのは、やはり直観音楽である。

私は短いテクストを通して、音楽家達が精神的に合致することによって生まれるこの音楽を<直観音楽>と名付けた(シュトックハウゼンによる『七つの日より』のプログラム・ノートより)。

 直観音楽以前にも、即興や演奏家による解釈といった計量/操作不可能な音楽の要素にシュトックハウゼンは注目しており、そこには既に直観音楽の萌芽を見ることができよう。しかし、直観音楽がジョン・ケージフルクサスらの「即興性」や「ハプニング性」と一線を画したものである点は、それが「理論」であった、というところにある。
 それがどのような理論であったのか。おそらく、それはシュトックハウゼン自身にしか、性格に説明することが不可能な「理論を超えた理論」ということができるかもしれない。以下では彼自身による直観音楽の規定を引用しておこう。

見出されるべき多くの音楽プロセスは、より根源的な、より高度な形成力を示唆しており、それは真に超理性的で直観的な源泉に存することを我々は体験してきた。全ての音楽的思考は、直観音楽を演奏する時、この超理性に仕えるのである。(中略)ここでは思考は、どの瞬間においても直観的霊感そのものに、全く意識的に従うのであり、またそれは直接的に、非反省的に(演奏の瞬間には反省の時間はない)、したがって非弁証法的に、機械的に生ずるのである

……引用部を読んでいただければ、直観音楽の超理論性に触れることができる、と思う――そもそも、この引用は「シュトックハウゼンの言い分を理解すること」を目的としていない。ここでは、むしろこの理論の理解のしがたさについて知っておいてもらえば充分である。しかし、ある種のセンスをお持ちの方ならば、シュトックハウゼンの文章を読んでこんな風なことを考えたのではないだろうか、と私は想像する――「これは理論というよりも、思想、それも宗教的な思想なのではないだろうか」と。また、そのような感想は、見当外れのものではない。実際、この時期のシュトックハウゼンインド哲学や東洋思想に自らを理論武装する題材を求めていたらしい。

楽家は自己中心を捨て去ることを学ばねばならないのである。さもなければ自己は自己のみしか表現出来ないし、自己とは情報の一杯詰まった大きな袋以上のものではないのである。そのような人々は閉じられたシステムと同じだ。(中略)そこには表現すべきものは何もない

 彼はまたこのような発言もおこなっている。これは、システム論的にも読める興味深いものなのだが、ますます直観音楽が宗教めいたものである、という印象を色濃くする発言であることは間違いないだろう。自己、自我、理性――それらを直観音楽は放棄し、直観に従うことによって音楽をおこなわなくてはならない。また、演奏者が従う直観とは、直観によって書かれた(シュトックハウゼンによる)テキストに違いない。
 佐野光司はそのような音楽のあり方を「直観音楽における演奏者は、シュトックハウゼンの示したテクストに対して、自己を無にして完全従属するものでしかないのではないだろうか」という疑問を呈している。おそらく、この疑問には、自己中心的な音楽を「閉じたシステム」として批判するシュトックハウゼンの音楽もまた「閉じたシステム」となっていることの指摘が含められているだろう。「シュトックハウゼンは、自己の示したテクストから直観的な霊感を得るために、無の存在となった演奏者たちを巫女として神となるのである」――佐野の批評はこんな風に締められているのだが、これは「シュトックハウゼンはカルトだ」と言うのとあまり変わりがないようにも思ってしまう。
 ただし、ある意味で佐野の指摘は正しい。シュトックハウゼンのカルト性は「シュトックハウゼン講習会」という、自らの作品を自ら解説し、その正しい解釈を広めていく、という秘教性からも指摘することができる。また、彼の作品の初演が、彼が絶大な信頼を寄せる演奏家を集めて入念なリハーサルを仕込むことで可能となったことなどもややカルト的な印象を受ける。
 ただ、これはそのような「カルト性をもっているように少なくとも私には思われる」という指摘であって、批判ではない。むしろ、シュトックハウゼンがそのようなカルト的な作曲家でありえた、ということは大きく賞賛すべき内容だったのではないだろうか、と私は思う。シュトックハウゼンの音楽は「シュトックハウゼン」というジャンルとして成立しているように見える事態は、ロマン派が夢見た「総合芸術」や「絶対音楽」といった理想の実現とも重なっていく――「シュトックハウゼンはロマン派的な最後の作曲家だった」という一蹴されそうな妄言をつぶやきたくなるが、個人的にこれを妄言だとは思っていない(ワーグナーマーラーシェーンベルクも、常に『自分だけの音楽を確立すること』を目指していたのだから)。
 また、常に新しい作品を作り続けていた姿勢においても、彼が「伝統的な/古典的な自律する作曲家の姿」を体現していたことは間違いない。彼の死は、そのような作曲家が絶滅したことを告げるような寂しい知らせだった。